人気ドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公・大木大助のモデルとなった山本清悟氏は、中学生の頃から賭博、麻雀、飲酒に明け暮れ、札付きの不良として知られる人物だった。そんな男がラグビーを始めることになったきっかけとは……。
ここでは、長年ラグビーについての取材を続ける日刊スポーツ記者・益子浩一氏の著書『伏見工業伝説 泣き虫先生と不良生徒の絆』(文春文庫)の一部を抜粋。運命的ともいえる恩師との出会い、そしてラグビー部入部を決意するまでの思いを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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昼は麻雀、夜は祇園で飲み歩く
「京都一のワル」─。
周囲は彼を、そう呼んだ。
京都の繁華街である祇園を毎晩のように訪れては、スナックに入り浸った。まだ中学生だというのに、大人の女性を隣に座らせて酒を飲み、当然のようにタバコをくゆらせた。
バイクの暴走行為を繰り返しては、無免許運転で補導をされた。近所の警察官に顔を覚えられるほどだった。
溜まり場にはビールの缶、タバコの吸い殻が無造作に散らばっていた。仲間と授業を抜け出すと、友人とパチンコ店に入り浸った。昼は賭博や麻雀、花札。夜になれば祇園で酒を飲み歩く。まるでチンピラのような生活をしていた。
のちに奈良朱雀高校で教鞭をとり、2021年3月に定年退職をしてもなお、嘱託再任用でラグビー部顧問として指導にあたる山本は当時をふり返る。
「大人顔負けの遊びをしとった。今で言うバイクの暴走行為も含め、タバコ、飲酒、パチンコも毎日のように行っとったしね。パチンコで勝った金で飲みに行ったんや。ちょうどカラオケが流行りだした頃やったわな。スナックに行って、2人の女性に両隣に座ってもろうて、歌ったりね。中学のころから老け顔やったから、いけたんやね」
昼と夜が逆転した生活をしながらも、弥栄中では野球部に所属し、4番一塁が定位置だった。とにかく体は大きかったから、よく打った。芯に当たれば外野の頭上を簡単に越えていく。3年になると、私立高校から野球推薦の話が舞い込んだほどだった。
裕福な家庭ではなかったから、当初は中学を卒業してすぐに働くことを考えていた。夏に野球部を引退すると、夜の街へ繰り出し、子分を引き連れてケンカばかりした。“弥栄の清悟”とも呼ばれたが、心のどこかに野球への未練を残していた。無条件で合格という野球推薦ではなかったものの、一般入試よりは優遇されるという話を聞いて、決意が揺れた。
「それなら、ほな、受けてみようか。そうなったんですわ」
“形だけ”のはずの入学試験を受けた1週間ほど後のこと。合格発表の掲示板に、山本の受験番号はなかった。推薦のはずが、その合格最低点にすら届かなかった。あるいは、内申書が悪すぎたのかもしれない。急にはらわたが煮えくりかえった。