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「耳の半分がベロンとはがれていました」不良ばかりの弱小ラグビー部が名門・花園高校と繰り広げた“死闘”の行方

『伏見工業伝説 泣き虫先生と不良生徒の絆』より #2

source : 文春文庫

genre : エンタメ, スポーツ, 読書

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 手のつけようのない不良生徒たちが揃った弱小ラグビー部が、“泣き虫先生”山口良治氏の指導によってわずか6年で全国優勝を果たす……。ドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルにもなった「伏見工業高校」は、にわかには信じがたい数々の伝説を日本ラグビー史に残してきた。

 日刊スポーツ記者の益子浩一氏による『伏見工業伝説 泣き虫先生と不良生徒の絆』(文春文庫)は、そんな伏見工業高校の知られざるエピソードが盛りだくさんの一冊だ。ここでは同書の一部を抜粋。高校ラグビー界にその名を轟かす「花園高校」と繰り広げた奇跡的な一戦を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)

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山本清悟の少年時代

 京都一のワルと呼ばれた山本は1960年の秋、京都市清掃局(現・京都市環境政策局)で運転手をしていた父の清司と、母の茂子との間に生まれた。2つ下には妹のさかえがいる。決して裕福な家庭ではなく、京阪三条駅からほど近い市営住宅の6畳の狭い部屋に、家族4人で肩を寄せ合いながら暮らしていた。

 清司は小学校もろくに卒業しないまま、茂子も中学を卒業するとすぐに働きに出ていた。ともに学歴がなかったから、両親は長男の清悟にだけは勉強をさせようと、苦しい家計の中からやりくりして、小学校低学年の頃から家庭教師を付けてくれた。教育には熱心だったため、少しでもテストの成績が悪いと、いつまでも正座をさせられた。勉強の他に、もうひとつ、口を酸っぱくして言われ続けたことがある。

「どんなことがあっても、人の物は絶対に盗るな!」

 貧しくても、盗みだけはしてはいけない。それが、両親の教えだった。

 だが小学生の頃に二度、その教えを破ったことがある。学校からの帰り道、駄菓子屋にあった角砂糖がどうしても食べたくなり、一緒に帰っていた友達に万引きをさせた。その友人は親に告げ口し、あっという間に盗みを強要したことがばれてしまった。

 もうひとつは、京都市美術館(現・京都市京セラ美術館)にあった池で鯉を釣り、何匹かをバケツに入れて自慢げに持ち帰った。それらの行為を、両親は許してはくれなかった。隣近所の住人が止めに入れないように、自宅のカギを閉めると、清司と茂子に代わるがわる殴られた。

「無茶苦茶にしばかれましたわ。足が立たんくらいにね。でも、人の物を盗んだらアカンという両親からの教育がなければ、中学の頃に悪さをしていた時、間違いなく人から金品を脅し取るようなことをしていた。盗み以外の悪い行為は、全てやりましたから。仮に盗みをしていたら、今の私はいなかったでしょうね。もし、山口先生や、ラグビーと出会っていても、長い付き合いにはなっとらんかったと思います」

 時折、茂子は自宅から近い鴨川の河川敷で寝ているホームレスを連れてきては、「可哀想や」と言って、家に上がらせて食事をさせた。寡黙な清司は、仕事から帰っても会話はなく、いつも部屋で酒を飲んでいた。そんな2人は、夫婦ゲンカが絶えなかった。ひどい時には互いに刃物を振り回して、暴れた。慌てた近所の住人が、止めに入ることすらあった。