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 不良ばかりが集まり、弱小だったラグビー部は、山本が入学する直前の近畿大会で準優勝。山口が監督に就任後、わずか1年足らずで急激に力を付けていた。逃げ道は作らせてもらえなかった。ふと横を見れば、小畑や、番長の荒木ら、悪名を轟かせていた先輩がゼェ、ゼェと荒い息を吐きながらキツい練習に耐えている。額からは滝のように大粒の汗が流れていた。その姿が、強烈な残像として頭から離れず、山本がラグビーにのめり込むきっかけになったのである。

高校日本代表に選ばれた山本清悟氏(2列目左から3人目) 写真=山本清悟氏提供

「やんちゃな3年生の先輩に、荒木さんとか、先生の白衣に火を付けるような悪い人らがおったんです。僕らが中学生のころから、荒木さんの名前は知っとった。ワルの世界では有名やったから。そんな人がラグビーを始めて、真面目になっとるっていう驚きがあったんですわ。やっぱり、ルールのあるケンカというのが、胸に刺さっていた」

大敗から1年後に訪れた花園高校との再戦

 山本はラグビー部に残った。そして、0-112の大敗から1年が過ぎた1976年6月5日。京都府春季高校総体の決勝戦で、花園高校との再戦の日が、訪れた。

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 会場の吉祥院運動公園は、朝から大粒の雨が降っていた。グラウンドはまるで、田んぼのようだった。遠くから雷鳴がかすかに響く。3年生になった小畑、荒木にとっては最後のシーズン。2年生には蔦川がいた。1年生の山本は、スタンドから試合を見守った。ウォーミングアップを終えて、ユニホーム姿になったメンバーを集めると、山口は短い言葉でこう伝えた。

「この雨はお前たちに味方をしてくれるはずや。勝てるぞ。1年前の借りを返してこい」

 全員で円陣を組んだ。一人一人が闘志を奮い立たせるように大声を出した。その目は、覚悟が宿った真剣なものだった。

「俺たちは近畿大会2位やろ!」

「自信を持て。花園にやり返すんや!」

 最後に小畑が声を張り上げた。

「守ったら絶対にやられる。どんな時でも、一歩でも前に出るんやぞ。攻めて、攻めて、攻め続けるんや!」