日常でも靴下を履いているうちに、右の靴下だけ足首の周りをくるくる回ってしまう。気づけばかかとの位置がずれて手前にきています。右足が自分の一部だという感覚が乏しいのでしょう。
そんな状態の私に原稿が書けるのだろうか? ましてや連載をするなんて、どう考えても無理じゃないの? と考えましたが、旦那の勧めもあって、勇気を出して書いてみることにしました。
あれよあれよという間に受講者に
タイミングがよかったのは、2018年春から1年間、「初心者パソコン教室」に通っていたことです。散歩の途中にパソコン教室の貼り紙を見つけ、中を覗き込むと「明日からスタートよ」と言われ、あれよあれよという間に受講者になりました。年々受講者が減り、高齢化もあって存続が難しく、あと一年で解散と決めていたそうです。
最初のうちは送信がうまくできず、違う友達にメールを送りつけたり、友達との約束の時間を間違えて送ってしまったりしました。いまでも時々「宛先って誰のことだろう? もしかしたら私のこと?」などと考えてしまいます。
文章は自分で書いていてもヘンだと思うし、そもそも日本語が怪しいので変換もうまくいかない。カタカナはなかなか出てこないし、ローマ字が出てくるとお手上げです。いまだに私の語彙は極端に少なく、順を追って話すのもなかなか難しいという状況です。
さて、今回からは、私が10年前にくも膜下出血を起こしてから具体的に起こったできごとを、もう少し詳しく、時間を追って振り返ってみたいと思います。
“今生の別れ”に空腹を訴える
私が激しい頭痛に襲われたのは、2009年11月22日(日)のこと。27日には大学病院に行き、くも膜下出血、および破裂動脈瘤と診断されました。
お医者様からは「すぐに手術しましょう。命に関わります」と言われましたが、私は拒否。
旦那はお医者様から「放っておけば、この先どんなことが起こるかわかりません。水頭症は恐ろしい病気です」と手術を強く勧められましたが、私の意志を尊重してくれました。
この時は帰宅しましたが、一週間後、私は手術を受けることを決めました。
10年連用日記をつけている旦那は、次のように書いています。