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マラリアの特効薬「キニーネ」の原料を日本が独占

 当時の珪藻土を用いた濾過筒を使えば、泥水も飲料水となり、99.9%の浄水率を誇ったという。石井の依頼を受けた濾水機の会社は、現在も濾過筒を製造している。会社が保管する資料には「防疫給水部の歌」の歌詞まで残っていた。

 マラリアの特効薬とされた「キニーネ」の原料は、オランダ領だったインドネシア産にほとんどを占められていた。インドネシアを占領した日本が世界市場を独占する形になったため、日米開戦の当初アメリカ軍は、ニューギニアなどで兵士がマラリアに感染して苦しめられた。

 しかし、アメリカ軍はマラリア対策の重要性を意識するようになり、キニーネに替わる特効薬の「アテブリン」を兵士に大量に供給することを優先したという。一方の日本軍では、物資の補給路が次第に絶たれるなかで、数少ない特効薬「キニーネ」をめぐって凄惨な出来事が起きていたことが元兵士たちの証言から浮かび上がった。

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キニーネ 「感染症に斃れた日本軍兵士」(NHK BS1スペシャル)より

元衛生兵「いまでも思い出したくない。かわいそうで……」

 元兵士たちは100歳前後の高齢者が大半だ。

 100歳になる元兵士は、ジャングルの中を移動中に「部隊の衛生兵を殺して(キニーネを)盗った」と証言した。別の100歳の元兵士は、キニーネを飲んでもマラリアにかかる兵士がいたことを日記に書き残し、マラリアに罹患した兵士を衛生兵が「気合いが足りない」と言って殴って死なせていたと証言した。

 1943年7月、当時の参謀総長が「マラリアのために戦力が4分の1に減じてしまった」「増兵をいくらやってもマラリア患者をつくるようなもの」と発言した記録もある。日本軍は補給路も断たれ、兵士には原因不明の「戦争栄養失調症」、極度に痩せ細ってミイラ状になって「生きる屍」と化すような症状が現れるようになった。

 原因究明のため、そうした兵士は解剖されたが、立ち会った元衛生兵(95)は、「いまでも思い出したくない。かわいそうで……」と嗚咽した。

「感染症に斃れた日本軍兵士」(NHK BS1スペシャル)より

 96歳の元兵士は、戦地ではデング熱が怖かったと語る。当時は原因が不明で治療楽がなかった。

 1944年の「日本医学」に掲載された論文では、陸軍軍医学校の軍医がデングウイルスを人体に接種した実験が報告されている。