精神科病院で行われたデング熱ウイルスの“人体実験”
南方に進出した軍にとって、デング熱はマラリアに次ぐ重大な感染症だった。デング熱は人にしかかからないので動物実験ができない。当時まだウイルスの概念がなく、病原はつかまっていない。1942年、43年には、さかんに人体実験が行われていたと研究者は解説する。
人体実験の対象になっていたのは、当時、東京の精神科病院(松沢病院)に入院していた20人以上の患者たちだという。ウイルスを接種したことで症状が悪化した人はいたが、幸い命に別状はなかったという。
戦後、この病院に勤めた精神科医の岡田靖雄さんは、事実を調べて大きな衝撃を受けた。
「デング熱については、よくも栄養失調の始まっている時期にこういう実験をやってくれたという憤りと、よくも秘密にしきったという……それがすごいなあと思う。立派な教授たちで尊敬する人たちだったんですけど本当に残念です」(岡田さん)
ワクチン開発の人体実験? インドネシア人の大量死と冤罪の疑惑
後編の50分は、副題が変わって「破傷風 ワクチン開発の闇」となる。
舞台はインドネシア。ジャカルタの南東にある都市・バンドンの国営企業バイオファームでは現在、ワクチンの開発が進められているが、この建物は79年前には旧日本軍の南方軍防疫給水部のバンドン支部だった。その時代も、ここではワクチンの開発が行われていた。
1944年、なんらかの注射をされたインドネシア人労働者(当時は「労務者」と呼ばれ、鉄道建設などに駆り出された人たち)およそ400人が命を落とした。
破傷風の症状だったという。
日本軍は、インドネシア人の研究者が毒を入れた謀略事件だとして逮捕し、処刑した。その研究者・モホタル博士は、インドネシアでは著名な感染症の研究者だった。戦後になって、冤罪だったとして名誉回復を求める声が、遺族や研究者らから上がっている。
労務者たちは「破傷風のワクチン」の人体事件をされたのではないか。南方防疫給水部の軍医たちが、完全な状態でないワクチンを打ったことで大量死につながったのではないか――。アメリカの研究者が問題提起している。