いたずらをしているときも、子どもの目はキラキラ輝き、全身が躍動していますよね。一見悪いことをしていても、それも子どもを伸ばすチャンスです。
栄光学園中学高等学校の井本陽久先生は「そもそも子どもが『ふざけ』『いたずら』『ずる』『脱線』をしているときは、いちばん自分の頭で考えているときなんです。それをむやみにストップしてしまうのはもったいない。むしろそれを活かさないと。一般的には悪いとされることのなかにも、子どもの良いところを認めるようにすると、子どもはどんどん自分で考える子になっていきますよ」とアドバイスします。
幼児期に限ったことではありません。思春期になっても同じです。普段はぶっきらぼうに「ほっといてよ」などと言っていても、よく見ていると、多感な時期の子どもがときどき何気ない会話をしながら目を輝かせてこちらを見ることがあります。
表面的なことばの奥に、本当は何か、親に知ってほしいことがあるのです。何気ない話だと思っても、目を見て興味をもって聞いていると、そのうち本当に伝えたかったことを話しはじめます。
ひとを伸ばすたったひとつのコツ
何かに感動したことや、何かを発見したこと。それを親とも共有したいと思ってくれているのです。そのチャンスを逃してはいけない。
私自身がそう思うようになったのは、拙著に出てくるような優れた先生たちが、そういうチャンスを見逃さないという点で共通していると気づいたからです。
先生たちは、生徒の「やる気」に火をつけているのではありません。生徒が、本人すら自覚できない小さな小さなやる気の種を発芽させたときに、それを見逃さず、そこに光を当て、その芽が育つのを温かく見守っているのです。それこそ、教育の真髄じゃないかと思います。
小さな小さなやる気は、子どもがいくつになっても、心の中でかなり頻繁に芽吹いています。それに気づいてあげるチャンスは、いくらでもあります。
まわりのひとたち、特に親という立場のひとが、それに気づいて、光を当て、温かく見守ってあげられれば、いくつになっても、おそらく大人になってからでも、人間は伸びていけます。
教育的な観点で親のすべきことって、究極的にはたったそれだけじゃないか、いや、それくらいしかできないのではないかと思います。