今年デビュー36年を迎えた歌手・森口博子さん(53)。1985年に「機動戦士Zガンダム」の主題歌「水の星へ愛をこめて」でデビューするも、堀越学園の卒業直前に事務所からのリストラ危機に。しかしバラエティ番組でも新たな才能を発揮して返り咲き、夢だったNHK紅白歌合戦にも6年連続で出演した。
2020年には「GUNDAM SONG COVERS」が累計20万枚を記録するなど、アニメ界からの支持も厚い。そんな森口さんの“バラドル”時代の知られざる苦労、アニソンの時代の変化、結婚観に迫る。
高校生だった香取慎吾のほっぺたをツンツン
――90年代は、バラエティ番組で森口さんの姿を本当によくお見かけしました。調べてみると1991年は、月曜日「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジ系)、火曜日「笑っていいとも!」(フジ系)、水曜日「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」(フジ系)、木曜日「クイズ!年の差なんて」(フジ系)、金曜日「石坂・森口のくっきん夫婦」(毎日放送)、土曜日「タモリの音楽は世界だ」(テレ東系)、日曜日「夜にありがとう」(NHK)など、全ての曜日に合計12本のレギュラー番組を抱えていたのですね。
森口 当時は本当に忙しくて、いま考えてもよく乗り越えられたなぁと思います。収録が終わって家に帰っても寝る時間がほとんどなくて、食事中にウトウトしてお味噌汁をこぼして火傷したり、トイレで寝てしまってマネージャーにドアを叩かれたりということが何度もありました。前の現場が22時終わりで、次の現場が22時入りという日もあって、終わりの時間と入りの時間が同じだなんてもうスケジュールがイリュージョン(笑)。
――その生活はどれくらい続いたんですか?
森口 イリュージョンスケジュールは数年続きましたね。バラエティ自体は1987年位から徐々に増え始めました。仕事がない恐怖を知っていたので、いただいたお仕事は怖くて手を抜くことはできませんでした。1992年に「夢がMORIMORI」(フジテレビ系)が始まった時は忙しくて、体調は不安定なことが多かったですね。
――「夢がMORIMORI」は森口さんにとって大事な冠番組だったんですよね。森脇健児さんや、後に大ブレイクするSMAPとはどのような関係だったんでしょうか?
森口 冠番組ではあるんですけど、健ちゃんが常に声を出して番組を引っ張ってくれたので安心でした。SMAPのみんなは弟のようで本当に可愛かったですよ。慎吾くんなんてまだ高校生だったから、空き時間にどこでも寝ちゃうので、時々ほっぺたツンツンしてました(笑)。一生懸命にコントに挑戦する姿、初々しかったです。中居くんは真面目で『アドリブってどうやればいいんですか』って常に物事を真剣に考えていましたし、吾郎ちゃんはすでに独特の雰囲気がすごかったし、剛くんは本当に声が良くてびっくりしました。名物企画のキックベースは森くんの独壇場だったし、木村くんは台本にない事をさらっとやったりして勘が鋭くて……。それぞれすごい個性だなぁと思っていました。