バラエティ番組の常連である傍ら、歌手として2019年に発売したアルバム「GUNDAM SONG COVERS」はオリコンウィークリー3位にランクインし、日本レコード大賞・企画賞を受賞。翌年発売された続編は前回を上回るオリコンウィークリー2位を獲得。2枚合わせて20万枚を超える大ヒットとなった森口博子さん(53)。

 2021年8月で芸能生活36周年を迎えたが、歌手に憧れたのは4歳の頃だったというから、“歌歴”は実に49年ということになる。

 なぜ森口さんは芸能界でこんなにも長く生き残ることができたのか。そして知られざる“崖っぷち”の時代とは……。

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森口博子さん ©文藝春秋 撮影・三宅史郎

――森口さんはキャリアの中で本当に多くの仕事をされていますが、ご自身としては何の肩書きが一番しっくり来ますか?

森口 どれが欠けても森口博子ではありませんが、4歳の時から「歌手になる」と決めて幼稚園の卒園文集に将来の夢として書いたんです。17歳で夢が叶って歌手デビューさせていただきました。原点は音楽なのでやっぱり歌手ですね。

48年……あっという間でしたけどね(笑)

――4歳は早熟ですね。誰か憧れの歌手がいたりしたんですか?

森口 幼稚園の時に地元テレビ局ののど自慢番組で麻丘めぐみさんの「芽ばえ」を歌いました。その後、5歳で初めて全国放送の「ちびっこものまね紅白歌合戦」に出場したんです。そこから毎年の如くアグネス・チャンさんや岩崎宏美さん、太田裕美さん、石野真子さんの歌をそのステージで歌って「アイドルになりたい」「歌手になりたい」って母に宣言していました。

5歳の頃の森口さん 事務所提供

――お母さまは応援してくれていたんですね。

森口 うちは小学校2年で両親が離婚して、母が女手一つで4人姉妹を育ててくれました。毎日がサバイバルでしたけど、生活が苦しい中でも歌は応援してくれて、当時は私も「歌手になれない」という可能性は考えたこともなかったですね。

――テレビデビューからは48年になるのですね。

森口 48年……あっという間でしたけどね(笑)。5歳の時から小学校6年生までずっと、福岡から東京へ飛行機で移動して、中野サンプラザで生バンドでお客さんの前で歌うんです。あの瞬間に「私の居場所はここだ、絶対に歌手になる」って決意したのははっきり覚えてます。