――デビューを機に東京へ引っ越されて、堀越学園では荻野目洋子さん、武田久美子さん、井森美幸さんと同じクラスだったんですよね。
森口 『あ、井森美幸だ、武田久美子だ。荻野目ちゃんもいる! 私も堀越に来ちゃったんだ』ってテンション上がりましたね(笑)。荻野目ちゃんはすでに売れていたし、私は井森が所属していたホリプロも落ちたし、久美子が優勝した映画「ハイティーン・ブギ」の近藤真彦さんの相手役も落ちているから、羨ましかった人たちと同じところにやっと来られたんだ、って。でも、すぐに格差に気が付きました。
――どういうことでしょう?
森口 当時の堀越の芸能コースは、「仕事が忙しくて学校にいない人が売れている」という価値観でした。それなのに、他のみんなが忙しくしている中で私は仕事が少なくて、皆勤賞になりかけるくらい毎日学校にいました。自分だけ学校にいるのがあまりに辛くなって、嘘の早退届を出したこともあります。でも学校の外でも、渋谷のハチ公の近くで制服に気づいた男性に顔を覗き込まれて「こいつ知らねーや、誰? ホーリコシ、ホーリコシ!」って囃し立てられたことがあって……。怖くて悔しくて涙が止まりませんでした。
――福岡に帰りたい、とは思わなかったんですか?
森口 それは一度も思わなかったんですよね。人前で歌いたい一心でしたし、スタートラインにも立ててないと感じていたので、とにかくチャンスさえもらえたらと思い続けていました。
「自分が推されていない」という感覚
――ガンダムシリーズの新作の主題歌でデビューと聞くと華々しいですが、森口さんの実感としてはそうでもなかったのですか?
森口 私はガンダムという大きな作品の歌が歌えて、しかも毎週アニメの放送で流れるなんてすごいラッキーだと思っていたんですけど、当時は王道のアイドルとはやっぱり少し違う扱いでした。アニメ雑誌はカラーで特集を組んでくれるけど、それ以外の場所ではちょっと格下というか。今でこそ、世界に誇る文化になりましたが、その頃はなんで同じように扱ってもらえないんだろうとずっと辛かったです。
――「自分が推されていない」という感覚はどういうときに感じるんでしょう。
森口 当時の芸能事務所やレコード会社は「この子にかける」っていう一押しが1人いたんです。私の場合、事務所の同期に松本典子ちゃんがいて、レコード会社の同期には中山美穂ちゃんがいて、私はどちらでも“一番”じゃなかったんです。事務所の典ちゃんのスケジュール表は真っ黒、レコード店に行けば美穂ちゃんのデビュー曲「C」のポスターが大きく貼ってある。でも私は仕事はないしレコードもお店に置いてもらえず、あったとしても隅っこ。「私のこともちゃんと見てほしい」といつも思っていました。