昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「そろそろ福岡に帰った方がいいと思う」

――YouTubeやSNSがある今以上に、当時は事務所に推されるかどうかの影響が大きい時代でしたよね。

森口 まさに! 当時は期待されているアイドルは春にデビューすることが多かったんですけど、私は8月デビューで。プロモーションのタイミングもズレていたり。堀越を卒業する直前には事務所の組織表から「森口博子」の名前が一度消えたことがあって、「そろそろ福岡に帰った方がいいと思う」とリストラ宣告を受けました。私は全然諦められなくて、泣きながら「どんな仕事でも頑張りますから帰さないで下さい」と懇願しました。

20代はバラエティ番組への出演が急増した 事務所提供

――その“どんな仕事でも”がバラドル転向につながっていくんですね。

森口 そうなんです。それでいただいたバラエティのお仕事が「雄のロバを口説いてきなさい」というテレビの企画でした。同期の子たちが華やかな歌のお仕事をしてるのは羨ましいけど、私はまず名前と顔を覚えてもらって、いつか絶対に歌に繋げるんだと覚悟を決めました。

――雄のロバってどうやって口説くんですか……?

森口 もう必死でしたね(笑)。触っても撫でても無反応で、切羽詰まって耳元で「ロバリン」って息を吹きかけたらブルんってリアクションしてくれて、OKが出ました(笑)。でも最初は乗り気じゃなかったバラエティも、始めてみたらスタッフの皆さんは優しいし、無名の私にコーナーを預けてくれた方に恩返しもしたくて、やりはじめたらだんだん楽しくなってきましたね。

森口博子さん ©文藝春秋 撮影・三宅史郎

――思わぬ才能がそこで開花したわけですね。

森口 チャンスをくださったスタッフやテレビ局の方には本当に感謝しています。あの時名前と顔を覚えてもらったから、今も大好きな歌が歌えている部分は間違いなくありますし。でもやっぱり、バラエティのお仕事が続きすぎると辛くなることもありました。新曲をリリースしてラジオ番組へ行っても、「今日のゲストは工藤静香さんです」「こんばんわ(工藤静香のモノマネ)」ってモノマネのネタフリから始まったりして。私は小学生の頃から先生の真似をして友達を笑わせていたのでモノマネは大好きなんですけど(笑)、せっかく新曲を出した時くらい「歌手・森口博子」として扱ってくれてもいいのになと思うことはありました。

 インタビュー後編では、夢だった紅白歌合戦、森口さんの悩みを救った芸能界の父・タモリさんの言葉、そして自身の結婚観について語る。(#2へつづく)

この記事の写真(7枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー