ヤンキー文化=日本の祭りの文化?
――デコトラが出てきた時の「確かにこれは日本が生んだものだ」という納得感もすごかったです。
湯山 いわゆるヤンキー文化であるデコトラですが、考えてみればあの「華美で巨大な装飾が動く」というのは、山車やねぶたなどの日本の祭り文化のセンスです。これ、演出スぺックとしてはめちゃくちゃ効果的。そんなに予算もかからないだろうしね。桂離宮のようなシンプルを突き詰めたミニマムな美を追い求める一方で、歌舞伎の「楼門五三桐」の舞台装置や日光の陽明門ような派手派手なものも好きなのが日本人。ギャルやゴスロリもそうですし、九州や沖縄の成人式なんて本人たちは意識していなくても完全に傾奇者で、日本の文化伝統保持者ですよ(笑)。
――オリンピック開会式には市川海老蔵さんが登場していましたが、評判は芳しくなかったようです。
湯山 上原ひろみさんと一緒に登場していましたが、正直コラボとしてはキツかったです。そもそも、歌舞伎のそれも「しばらく」と見得を切るまでの緊張→爆発の前後における緻密な時間軸に、上原さんのスピーディーで音数豊富なサウンドをそのままぶつけても、合うわけがない。合うようにきちんとディレクションしたとも思えない。これは私の想像ですが、歌舞伎は「男性主体の伝統芸能」なので、例の森発言を受けての忖度が働いたのではないかと。つまり、男性だけだとまた何か言われそうだから、女性もコラボで入れとけ、という判断が下されたのではないかと、コチラも忖度してしまう(笑)。木遣りも基本、男だけの文化なのに真矢ミキさんが棟梁を演じていましたし。歌舞伎や木遣りは伝統的に男性オンリーの文化であり、その本来の価値観を曲げるくらいなら出さない方がいいと私は思います。一緒に女性を出しておけばOKというのは勘違いもいいところですよ。
――バンドメンバーの豪奢な装いは、傾奇者であると同時にドラアグクイーンも連想させるものでした。
湯山 なるべく人目に触れず、目立たないで生きていった方が身のため、というのが、マイノリティーの処世術、そして世間の空気として残念ながら存在しています。ドラアグクイーンもマイノリティーであり、彼らはあえて女性的な装いや態度をほとんどパロディーの域にまでに過剰に打ち出して、魅力的なパフォーマンスに変えているわけで、そういう意味では確かにドラアグ的ですよね。そしていちばん大事なのは、日本を含めた世界中の人がこういった演出を好意的に受け止めたということです。そこには「障害者が派手に身体をさらして、頑張っていてイタい」という感覚はもちろん皆無だし、そういう考え方自体がアンモラルになっている。
――無難な演出を選ばなかったのは、観客を信頼していたからこそなのですね。
湯山 義足のモデルのGIMICOさんが、ランウェイをモードな衣装で闊歩したリオデジャネイロのパラリンピックのセンスが、今回、堂々と開花したという事でしょう。