百人一首について、どの歌が好きか、や、歌の作者について考えたことはあった。また、百人一首を選んだのが、自らも歌人である藤原定家だということも知識としてあった。しかし定家が、「なぜその百首を選んだのか」ということについては、まるで思いを馳せたことがなかったと、本書を読むにあたって気づかされた。
主人公は、藤原定家、その人だ。章によって年齢は異なり、そのとき抱えている問題や感情も変化しているが、変わらないものもある。彼の、歌に向き合う姿勢だ。いつも誠実で真剣。彼と歌は、もはや一体化しているといっても過言ではない。
当時の主君である後鳥羽院に、歌について問われた際、定家は語る。
「古歌に親しみ古歌を誦(ず)するうちに、おのずとおのれの風(ふう)というものもできあがってまいります」
いわゆる温故知新の精神だ。膨大な古歌を手札に書きつけ、暗誦してきた定家だからこその重みのある言葉。顔も声も知らない、知るよしもない定家の姿が、ありありと浮かぶのが不思議だ。背筋が伸びる思いだった。
ただ、一方では、歌以外の部分もたっぷりと綴られている。友情、恋愛、権力争い。そのまま現代にも置き換えられそうな、数々のドラマチックな要素。
情景描写も巧みで、景色がすっと浮かぶシーンはいくつもあるが、特に美しく感じたのは、定家と家隆の二人が、小川でずぶ濡れになって笑いあうシーンだ。ささやかだけれど、一生忘れないであろう場面。そうしたものは、誰もが持っているのではないだろうか。
定家一人の人生でありながら、そこには多くの人々の人生もまた絡みついてくる。生きるとはそういうことなのだ、と、ページを繰りながら確信していく。話の中で時折挟み込まれるように存在する歌が、単体で読むよりも、なお強く印象に残る。
歌一首は基本的に三十一文字だ。短い。Twitterのつぶやき1つ分にも満たないほどだ。しかしそこから広がっていく世界は、想像を絶するほど大きい。
先ほど、定家の姿が浮かぶと書いたが、実は定家だけにとどまらない。後鳥羽院、藤原家隆。あくまでも「歴史上の人物」や「百人一首の中の歌人」としてしか知らなかった彼らの存在もまた、浮かびあがってくる。彼らの歌が、彼らの人生を深く示してくれる。
小説単体としても力強さがあり、読みごたえがあるのはもちろん、本書を読んだことで、百人一首と向き合ってみたくなった。なぜ定家がこれらの歌を選んだのかを、自分なりに考えながら。そんなふうに、読書の楽しみを膨らませてくれる一冊でもあるのだ。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ(藤原定家)
すおうやなぎ/1964年、東京都生まれ。2013年『八月の青い蝶』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同書は2015年の広島本大賞「小説部門」大賞に選ばれた。著書に『蘇我の娘の古事記』『高天原』『とまり木』など。
かとうちえ/1983年、北海道生まれ。歌人・小説家。著書に『消えていく日に』『この場所であなたの名前を呼んだ』など。