「あなた、ジャリタレと思ってバカにしてるんじゃない? コンサートに呼んであげてもいいけど、ペンライト振って応援できる?」
「できますよ」
5時間以上に及ぶ監禁と猛抗議の中、私の反応が意外だったのか、メリー喜多川氏は初めて顔を綻(ほころ)ばせた。それまで感情を爆発させ、終始激しく詰問していた彼女の横顔から、一瞬、不思議な優しさが零れ出た。
「あら、そう? ほんとにできるの? じゃあ考えてあげてもいいわ」
口元に湛えられたのは満足げな笑みだった――。
年間1000億円を稼ぎ出す“アイドル帝国”
年間1000億円を稼ぎ出すアイドル帝国を作り上げたジャニーズ事務所のメリー喜多川名誉会長が8月14日、肺炎を患い都内の病院で亡くなった。享年93歳。最期を看取ったのはメリー氏の娘で、ジャニーズ事務所社長の藤島ジュリー景子氏(55)と孫娘だったという。
SMAPやTOKIO、V6、KinKi Kids、嵐、関ジャニ∞……、活躍目覚ましいKing&Prince、SixTONES。錚々たるスターを輩出してきたジャニーズは、「いちエージェント(芸能事務所)がこれほどまでに社会的な影響力を持つのは世界的にみても稀。主要メディアが忖度するのは日本の特殊な現象で、大衆文化の頂点にいるのではないか」(外国人特派員)。
1962年創業のジャニーズ事務所は少年を発掘する天才的審美眼の持ち主、ジャニー喜多川氏と、彼を経営で支える姉、メリー氏の両輪で大きく発展してきた。SMAPの成功とともに1993年に約16億円だった売上は2001年には120億円を突破。ジャニー、メリー、ジュリー各氏の年収はそれぞれ10億円を下らないとされ、総資産は1000億円以上あると噂される。
2010年初冬、その姉弟の来し方を取材してくれと週刊文春編集長(当時)の命を受け、それまでもジャニーズの組織論等を執筆していた私と同僚記者がチームとなり、戦中から戦後にかけ姉弟が暮らしたロサンゼルス、和歌山、大阪を現地取材。ふたりの父親で高野山真言宗米国別院の僧侶だった喜多川諦道の足跡まで遡るなど綿密な取材を重ね、「『アイドル帝国』を築いた男 ジャニー喜多川社長の『ルーツ』を追う!」と題し週刊文春(2010年12月30日・2011年1月6日合併号)と同(2011年1月13日号)に掲載した。
ジャニーズ事務所に呼び出され……
前編が発売されるや、乃木坂にあったジャニーズ事務所本社に呼び出され、役員や弁護士にずらりと取り囲まれた。メリー氏が、「私の納得いくまで説明しないと、徹夜してでもここを動かないし、帰らせない」とすごい剣幕で声を荒らげ、追い詰めてきた。勝負服の真紅のジャケット。テーブルをバンバン叩くその手には複数の大きな宝石の指輪が光り、富と権力を持つ大立者の風格があった。当時82歳とは思えないほど意気軒昂であった。