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 なぜ、そこまで怒るのか。メリー氏とは初対面だったが、多くのメディアが同様に呼び出され、執拗に抗議を受けていることは知っていた。

「その条件ならうちのタレントは出しません、と強気の主張で担当者をねじ伏せてしまう。ジャニーズの男性タレントと女優の交際が発覚した際に、その女優を番組から降板させないと全タレントを引き上げると言い放ち、担当者を翻弄するなど、ジャニーさんが苦手とするような交渉事はメリーさんが一手に引き受けていた」(テレビ局古参幹部)

「ひとりひとりここに連れてきなさい」

 メリー氏の主張は、自分が正しいと認めないものは事実ではないというもので、自信に満ち溢れていた。記事を目の前に広げ、ペンを片手に「ここは違う」「これもダメ」「ロサンゼルスの○○さんはこんなことを言うはずがない」と検閲し、「誰が証言したのかひとりひとりここに連れてきなさい」と命じるなど支離滅裂だった。

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 たとえば、ジャニーズ事務所初期を支えたフォーリーブスが1978年に解散後、たのきんトリオが大ブレイクするまでは経営的に苦しい時代があったというのだが、模索途上で、初の女性メンバーを含むグループ『VIP』を売り出している。その記述をメリー氏は「うちは男性しか扱わないということはご存知ないの? 常識よ。そんなこともわからないでよくこんな記事が書けるものね。恥を知りなさい」と叱り、居並ぶ古参役員のひとりに「Sさんは長年いるから知ってるでしょう。うちに女性のタレントがいたことがありますか」と訊ねると、S氏は即座に「いません」と神妙な面持ち。何かの間違いじゃないかというよりも、「女王様と家来のコント」に思えてしまった。

元SMAPでオートレーサーの森且行氏

 かつてSMAPの森且行氏がオートレーサーになるためグループを脱退した時メディアに、「SMAPに森という人間はいなかった」と理不尽な主張を押し付け、森氏の映像がモザイクで処理されたという話は有名だ。それと似たようなことが目の前で起きていた。

メリー氏が使いこなした“飴と鞭”

 しかしメリー氏の交渉は鞭だけではない。ジャニーズのスキャンダルを書く媒体には抗議をするのが常套だったが、写真集やカレンダーという飴を与えて懐柔する。文藝春秋はそうしたビジネスに乗らなかったし、1999年にジャニー喜多川氏の少年への性的虐待を報じ、裁判でも争ったため長年の仇敵だったのだ。そこに私が来たものだから、懲らしめようと思ったとしても不思議ではない(※そのやり取りは双方同意の上録音している)。