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人にどう読まれるではなくて、自分が好きなことを書いていくしかない

――作家生活を振り返ってみて、ターニングポイントはありましたか。

柴崎 1作書くごとに、大小いろんな転機はあります。その中でちょっと大きめのものとしては、2007、8年くらいかな。書いているのが難しいなと思う時期がありました。

――『また会う日まで』(07年刊/のち河出文庫)や『主題歌』、『星のしるし』(08年文藝春秋刊)の頃ですか。

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柴崎 そのへんですね。小説家になる前って誰にも読まれない状態で書くわけですよね。もちろん、ちょっと面白くしようとか、メリハリをつけて、とかは考えつつ、具体的にどう読まれるかってそんなに考えないわけで。デビューしてすぐの頃も、ほとんどどこにも取り上げられなかったんです。瀧井さんが2作目の『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』(01年刊/のち河出文庫)が出た時に記事を書いてくださったけれど、あの本が取り上げられたのはそのひとつだけでした。

次の町まで、きみはどんな歌をうたうの? (河出文庫)

柴崎 友香(著)

河出書房新社
2006年3月4日 発売

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 でもデビューしてある程度の年数が経って、いろんなところで読まれたり、いろいろ言われるようになって。それこそさっきのSNSの話に通じますが、自分がやりたいことと、人からどう思われるかみたいなところで、ちょっと折り合いが難しくなっていった時期でした。悪く批判されたからということではなく、自分が普通にやっている行動を意識してしまうというか。「あなたは歩く時に右足がこんなふうに出ているのはすごくいいよね」と言われたら、歩きにくくなるじゃないですか(笑)。そういうのに近い感じだったんです。それに「小説とはなにか」「小説にしかできないことはなにか」と問われる機会も多くなって、「小説にしかできないこと」をやらないといけないと考えすぎでしまったというか。ああ、このままでは行き止まりになるな、どうしようかと思っていたんですけれど、そのちょっと前、2004年かな、たまたま「これ好きそう」といって教えてもらった小説が、デニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』だったんです。

――へええ。麻薬中毒者たちが出てくる短篇集ですよね。

柴崎 そうです。その時はまだ翻訳の本は出ていなかったんですが、その中の短篇のひとつ、「緊急」だけ柴田元幸さんのアンソロジーに入っていたんです。それを読んだ時から「こんな小説が書きたい」とずーっと思っていて、翻訳本がないから原書を買って読みました。文章自体はシンプルなんですけれど、繋がりが変だから合っているのかどうか分からなくて。後で翻訳が出た時にそれでいいということが分かったんですけれど。

――「こんな小説が書きたい」の「こんな」って、どういうところなんでしょう。

柴崎 なんか、私の好きな音楽みたいな小説ですね。デニス・ジョンソンのプロフィールに「ジミ・ヘンドリックスを聴いて小説を書き始めた」とあって。言語化できないんですけれど、なんか、ジミヘンでいいんだ、という感じでした(笑)。好きな音楽を説明する時って、わたしは論理的ではないんですよね。説明しようと思えばできるのかもしれないけど、基本にあるのはこの音が好きとか、この感じが好きとかっていうだけで。そういう感じをもっと大事にしようと思ったんです。

『ジーザス・サン』の翻訳が出たのが2009年なのかな。村上春樹さんが翻訳した「ダンダン」という短篇もその前に読めたんですけれど、やっぱりこういう小説が書きたいと思って。それで「本の時間」というPR誌で連載をすることになった時に、好きに書いてみようと思って書いたのが『ビリジアン』(11年刊/のち河出文庫)です。

ビリジアン (河出文庫)

柴崎友香(著)

河出書房新社
2016年7月5日 発売

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――1人の女性の少女時代から長い時間にわたる人生のいろんな瞬間が、時系列バラバラに書かれていましたよね。大きな事件的出来事というより、放課後友達とおしゃべりしているとか、そんなエピソードが。

柴崎 自分が誰にも読まれない状態で小説を書いていた時と同じように、人にどう評価されるかではなくて、自分が好きなこと、どうしても書きたいと思うことを、書いていくしかないなと思って書きました。その『ビリジアン』を書いている時に、『ジーザス・サン』の翻訳が出たんです。それは本当に影響を受けたというか。『ジーザス・サン』があったから、今も小説を書いていられるという気がします。

『ビリジアン』が書けたから『寝ても覚めても』(10年刊/のち河出文庫)も書けたし、自分にもこんなことができるんだなって思った感触がありました。だからそれはすごく大きな転機といえば転機だったのかなと思います。

寝ても覚めても (河出文庫)

柴崎 友香(著)

河出書房新社
2014年5月8日 発売

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大阪を離れたことで「自分のいない世界」では自分が幽霊みたいな感じがする

――東京に越してきたのってその前でしたっけ。

柴崎 2005年の10月ですね。東京に来たのも転機といえば転機でしたね。東京に行くぞという一大決心はなくて、ちょっと違うところに住んでみたいという感じで来たんですけれど、そのことで大きな変化があったのは、「自分が東京にいる」ではなくて、「自分が大阪にいない」でした。私はすごく大阪と自分の人格が一体化しているところがあって(笑)。それが離れて時間が経ってくると、帰る度に、特に大阪の駅の周りなどの様子が変わって、違う国みたいなところがあって。友達の子どももすごく大きくなっているし、自分がいないのにその場所の時間が進んでいるという感覚が、自分にとっては大きなことでした。大袈裟にいえば、「自分がいない世界」なんですよね。死後について考える感覚に近くて。大阪にとって自分はもう幽霊みたいな感じがするんですよね。幽霊になった自分が大阪に帰ってくるという。

 それが、私がここ何年か書いている、時間的にも距離的にも自分がいない場所について遠い場所について考える、というような小説を書くことに繋がっていると思います。

――『寝ても覚めても』は来年映画が公開されますね。昔好きだった人にすごく似ていると思う相手と出会って……という。あの設定をどうするのかなと思ったら、やはり一人二役なんですね。

柴崎 脚本も読みましたが、原作とはけっこう違うところが多いかな。もともと映像の影響が大きい小説なので、もし映画化するならどういうやり方があるかなと自分でもいろんなパターンを考えていたのですが、なるほどこうするのか、と。『きょうのできごと』の映画化の時も撮影現場に結構行ったんですけれど、今回も4、5回くらい行きました。でも撮影を見ても、映画になったらどうなるのかまだ分からないですね。ただ、主人公の朝子がずっと想いを残している人と、今目の前にいる人と、その間でどういう選択をするのか、なにをだいじに思うのか、という部分は映画の中にもしっかりあるんじゃないかと思いました。

柴崎友香さん(右) 瀧井朝世さん(左) ©平松市聖

――ご自身の執筆活動での今後の展望というのは。

柴崎 今年2月から毎日新聞の日曜版で「待ち遠しい」という小説を連載しているので、しばらくはそれに取り掛かっています。1年間やるので、ちょっと来年にもかかると思います。大阪の郊外を舞台に、世代の違う女3人の関係を書いています。

 それと、「新潮」で去年アメリカに行った話を連作短篇で書いているので、それも来年くらいに本を出せたらいいなと思っています。これはフィクションかフィクションじゃないのか分けられないようなものを楽しく書けています。