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読者からの質問

■柴崎さんにとって、昔の大阪、今の大阪、大阪の知ったかぶり持論、よう知らんけど……的な大阪への愛情のあるご批判は。(40代・女性)

柴崎 「よう知らんけど」というのは、わたしもエッセイのタイトル『よう知らんけど日記』に使いましたが、大阪の人がよく使う言葉ですよね。人のことや直接知らないことについてさんざん話したあとに、よう知らんけど、ってつける(笑)。語りの面白さを楽しむとともに、照れ隠しの言葉でもあります。大阪の人って、シャイなんですよね。

 大阪はもちろん、いいところもよくないところもいっぱいあります。大阪だけでなく、どの町に行ってもいろんな面がありますけれど。

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 気になるのは、大阪の人自身が大阪の人のイメージに縛られているんじゃないかということ。大阪は、すばらしい近代建築が数多く現役なところからもわかるように、もともと文化的なところにもお金出したりして、豊かに育んできた場所なんですけれど、ここ何十年かはテレビで流通するお笑い文化の影響か、大阪といえば「がめつい」「あつかましい」とか、そんなマイナスイメージを持たれていますよね。大阪の人は自虐ネタが基本で、自分を落として笑いにつなげる。自虐ネタでユーモラスに語ること自体は全然いいんですけれど、その自虐に自分たちが逆にはまっているんじゃないかなって。東京で、大阪から来た男の人が自分の出身地がいかに治安が悪いかの自慢合戦していたことがあって。他の地方の人には、本当に悪いことを自慢しているみたいに聞こえるやろなあ、と思って。自分の反省としても、そういうところがあるなと思いました。漫才みたいなことを言うのも、面白いこと言ってるぞってドヤ顔したいわけじゃなくて、サービス精神からなんです。せっかく話してくれたんやから笑ってもらったほうがいいやろうと思うし、「大阪人」としての役割に応えようとしてしまう。でも外からはなんかドヤ顔しているみたいに思われてしまって。大阪でも楽しいところも、穏やかなところもたくさんあります。むしろ、気前がいいし、お人好しやなって思います。普段通りの大阪、それを伝えたいって気持ちはあります。

■変わりゆく街の風景に思いをはせる主人公の言葉は、柴崎さんの思いを代弁している言葉でもあるのでしょうか? 海外にいらっしゃる時には大阪や京都のことをどのように感じておられますか?(50代・男性)

柴崎 小説は自分の言いたいことを代弁するためのものではないのですが、小説の材料として、自分の中にある考えていることのある部分をクローズアップしている部分もあります。ただ、そのままではないという感じですね。

 去年アメリカに3か月いて、ほぼ英語だけで生活しないといけない環境だったんです。その時に思ったのは、「大阪弁喋りたい」でした。「日本語喋りたい」じゃなくて。自分の「母語」は日本語じゃなくて、大阪弁だと思いました。

■2週間で店が入れ替わる街、という表現がありました。柴崎さんがぜひとも残っていてほしいお店はどういうお店でしょうか?(50代・女性)

柴崎 居心地がいいお店ですね。好きなお店には残っていてほしいです。その好きなお店にもいろんなタイプがあります。時間の積み重ねを感じるお店とか、見える風景が好きとか、お客さんの雰囲気が好きとか。

■柴崎さんの、生活をゆるい姿勢で、かつ鋭く観察するお話が好きで、1作目からリアルタイムで読んでいます。柴崎さんは大阪弁で小説を書かれることが多いですが、大阪弁を使わない時と使った場合では、何か違いがありますでしょうか。(40代・女性)

柴崎 普段喋っている時でいうと、大阪弁を喋っている時が本来の自分で、標準語っぽい言葉を喋っている時は自分の気持ちが全然何も言えていないという感じがしています。東京に住んだら使いこなせるようになるかと思ったら、時間が経つにつれ「言えてない感」がいっそう強まっています。でもそれが小説になるとまた違います。大阪弁で小説を書く時、すごくナチュラルに書いているかといえばそうでもないです。そのままの大阪弁で書くと、分かりにくいのでどこで折り合いをつけるかを考えなくてはいけないので、大阪弁で書いている時のほうが、細かく意識的になっている気がします。ただ、会話の在り方や登場人物の関係性は変わってくるし、大阪弁だと話が自然と進みやすい気もします。

■いままでで一番気になった近所迷惑って何ですか。(40代・女性)

柴崎 新築でコンクリートのしっかりしたマンションに住んでいたのに言葉が全部聞き取れるくらい、真上の人が週に1回「ガキの使いやあらへんで」を爆音で見ていたこと。その時は東京に来たばかりだったし、ダウンタウンの番組だから大阪っぽい安心感があって、別に迷惑と思ってなかったんですけれど、なぜその番組だけを爆音で見るのかはすごく気になりました。

■長篇作品と短篇作品で、キャラクターに違いはあるのでしょうか?(30代・男性)

柴崎 長篇だとある程度その登場人物の人生背景を考えないといけないですが、短篇だとそこまで細かく決めなくても、ただこんな人がそこにいるというだけで書けるというか、むしろその存在感が重要になります。

■ご自分の小説を読み返すことはありますか? あるとすれば最も頻繁に読み返す小説、あるいは印象に残った小説を教えてください。(30代・男性)

柴崎 そんなに読み返さないです。でも文庫を出す時には読み返さないといけないですよね。文庫化するのって単行本を出してから2、3年経った頃なので、ほどよく距離を置いて読めるからいいです。意外に面白いなって、楽しんで読みます。『寝ても覚めても』は映画になるからと思って、もっと時間が経った去年や今年に読み返しましたが、ああこんなこと書いていたのかって思うところが結構ありました。

■柴崎さんのお話は、舞台になる街も、登場人物と同じくらい魅力的に書かれていますが、柴崎さんが「この場所のことを書こう」と思われるきっかけは何でしょうか。(20代・女性)

柴崎 もともと思い入れのある場所が多いです。散歩して面白いなと思った場所もあります。今回の『千の扉』の場合のように、意図的に「こういう条件の場所を」と探す時もあります。

■テレビっ子だった柴崎さん、最近好きな番組は何ですか?(30代・女性)

柴崎 それが、今までテレビを見すぎて、一生分見たのか、最近全然見てなくて。単に見るものがインターネットになっているだけなんですけれど。もうちょっと前に、BSのドキュメンタリーとか、ケーブルテレビの昔の番組しか見ていなかった段階があって、世間一般で流行っている番組はまったく見ていなくて若い芸能人とか全然分からなくなりました。

 BSでやっている「地球タクシー」という番組が好きです。いろんな街のタクシーに乗って、タクシーから見た超スローモーションの風景と、運転手さんの話が面白いんですよね。「世界入りにくい居酒屋」という番組も好きです。それも世界のいろんな都市に行って、その街の地元の人しか来ない濃い居酒屋に入る番組です。

 その代わり、ラジオは結構聞いています。最近は、アプリで時間差でも聞けるし、スマートフォンからBluetoothで防水スピーカーにつないで聞いたりしています。他のことをしながらでも聞けるからいいですよね。朝はいつもNHKの「すっぴん!」を聞いています。月曜日が宮沢章夫さんで、金曜日は高橋源一郎さんで、文化的なものを紹介するのも時間がたっぷりあって掘り下げた話が聞けるんですよね。木曜日の本の紹介コーナーは週替わりなんですが、4週のうち3週が長嶋有(ブルボン小林)さん、米光一成さん、鴻巣友季子さんなので、身内感がありすぎますね(笑)。

■ 作品を読むと、日常の瞬間瞬間をしっかり覚えている人なのではないかなと思います。メモはたくさん取りますか? 日記はつけていますか? どうしたら常にアンテナを張っていられるのでしょうか。(30代・女性)

柴崎 メモも取らないし、日記も昔からやろうとしては続いて2日かなっていう。三日坊主でもないんです、一日か二日(笑)。やったほうがいいのは分かっているんですが、できないんです。一応、メモしなくても憶えていることは重要なのかなという言い訳を自分にしています。

 アンテナは意識して張っているというよりも、単に興味のあることに気をとられている感じです。意識しなくても興味が湧くと目に飛び込んできますよね。

 興味を持つってすごいですよね。この間も、エスカレーターマニアの人のブログを見たんです。日本中のいろんなエスカレーターを見に行って、ここは何年製の何、ということや、ここの部分が特徴、というのを大量にあげているサイトです。興味を持てば世界はこんなに輝くのか、と思いました。地下鉄の駅のエスカレーターに乗るのも楽しくなる。他にも「あの駅ってコインロッカーあったかな」と思って検索したら全国の駅のコインロッカーをアップしているサイトがあって助かりました

■長篇を書く時と、短篇を書く時では違いはなんでしょうか。(40代・女性)

柴崎 英語だと長篇がノベルで短篇がフィクションストーリーで、言葉自体違うんですよね。職業でも、ノベリストというと長編作家で、フィクションライターというと短編作家なんですよ。単に長さが違うってことじゃなくて、構造や発想自体が違うんでしょうね。もちろん両方書く人もたくさんいますけれど、かなり違うものじゃないかと思います。根本的な違いがあるのはわかりますが、まだ自分には説明できないです。

■感情移入ができないけれども、確かにこういう人間はいるかもしれないという人々が出てきます。その彼女ら、彼らが起こす行動を追ううちに、なぜか世界の豊かさや広さを感じるという稀有な体験をしています。端的に言うと、登場人物の魅力に引き込まれます。(30代・女性)

柴崎 今、感想に「共感」という言葉がよく使われますけれど、その共感の意味が狭くなって使われているように思うことがあって。「自分と同じ気持ちだ」という時に共感って使われていますよね。でもそれだったらすでに知っていることを確認するだけになる。それも悪いことではないし、誰も分かってくれなかった気持ちを分かってくれた、という感動は私もフィクションの中で味わったことがあります。でも、それだけだったらもったいないなと思っていて。フィクションというのは自分が実際には体験できないものも体験できるので、現実世界ならこの人感情移入できないな、面倒くさいなと思う人とも、フィクションの中なら付き合えるじゃないですか。せっかくだからそれを楽しんだほうがいいんじゃないかな、という気持ちがあります。「ああ、分かる分かる」だけでなく「自分とは考え方は違うけれど、この人がここでこうしてしまったのは分かるかもしれない」あるいは、「なんでこうしたんだろう」と感じてもらうのがフィクションの大きな役割だと思うので、そういうふうに読んでもらえたらすごく嬉しいです。

©平松市聖/文藝春秋

柴崎友香(しばざき・ともか)

1973年、大阪府生まれ。99年「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」が文藝別冊に掲載されデビュー。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、10年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、14年「春の庭」で芥川賞を受賞。

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※「作家と90分」柴崎友香(前篇)──新宿の巨大都営団地を舞台に人々の記憶が交錯していく『千の扉』──も公開中! http://bunshun.jp/articles/-/4834