「爽彩(さあや)の写真がテレビに映し出されても、どこか別の子のことのようで、今でも実感はありません。家で1人になると、気持ちが落ちて爽彩が亡くなったことを実感してしまうんですけど、そうでない時は、『爽彩は出掛けて、いないだけ』と思っている自分がいます。まだ、爽彩がいないことを受け止めきれないので、きっと一生受け止めきれないんだと思います。この半年間は、短かったといえばそうなのかもしれません……」
今年3月に北海道旭川市内の公園で凍った状態で発見された当時中学2年生の廣瀬爽彩さん。文春オンラインの取材に母親の廣瀬さんは時折、涙を浮かべながら、この半年間の想いを初めてメディアに打ち明けた。
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第三者委員会による調査は大幅に遅れる見通し
文春オンラインでは、これまで爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受けて、今年4月、旭川市はイジメで重大な被害を受けた疑いがあるとして「重大事態」に認定。第三者委員会はイジメの有無や爽彩さんが亡くなった因果関係、当時の市教委の対応に問題がなかったか再調査を開始していた。
8月18日には、爽彩さんの遺族の代理人の弁護士が記者会見を行った。旭川市教育委員会はこの会見を受けて、8月30日に「第三者委員会の進捗状況」を報告。第三者委員会の設置から4カ月経った現在も当時の中学校の教職員や関係生徒らへの聞き取りに至っていないことを説明した。当初は11月末までに調査結果をまとめると話していたが、西川将人旭川市長の辞職などもあり、第三者委員会による調査は大幅に遅れる見通しだ。
こんな悲しい誕生日は初めてでした
そんな中、爽彩さんは生きていれば9月5日に15歳の誕生日を迎えるはずだった。廣瀬さんはその心境をSNSで以下のように綴った。
《今日はさあやの15歳の誕生日でした。飾りを付けたり、ケーキを準備したりして 好きな食べ物を用意したりしました。お花も頂いてとても嬉しかったんです。でもいざローソクに火をつけて歌を歌うと さあやが居ない現実が突き付けられた様な気がして みんなで涙が止まりませんでした。どうして居ないのか こんな悲しい誕生日は初めてでした》
廣瀬さんは9月10日に自身が綴った手記「爽彩へ」を発表した(『娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件』所収)。母娘の14年間を振り返った同手記は天国の爽彩さんにそっと呼びかけるように始まる。だが、当初、手記の発表については様々な葛藤があったという。
「8月18日に弁護士さんに会見を開いてもらうまでは、爽彩がこんな子だった、あんな子だったなど、爽彩のことを知らない人たちの“憶測”でいろんな話が広まっていました。『病院に通っていなかったんじゃないか』『病気の診断名は親が勝手に決めたんじゃないか』など、いろいろな憶測が飛び交う中で、私の中では本当の爽彩は違うのに、っていう思いがずっとありました。今回、手記の話を聞いた時に、私がお話しすることで、そういった間違ったことを少しでも訂正していけたらと思い、お受けしようと思いました。