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ひとり黙々とボウリングの練習をするジョン・ボン・ジョヴィ

──重冨さんから見たジョン・ボン・ジョヴィは、どんな人ですか。

重冨 真面目。もう少し遊べば?って、思うんだけどそれがない。彼らが来日すると、よくボウリングをやりました。横浜球場でコンサートが終わってもそのまま帰らないで、横浜でボウリング場を探して行ったりね。リッチー(・サンボラ)はめちゃめちゃ運動神経がよくて、ボウリングもうまい。一方のジョンは、リッチーほど運動神経はよくない。だけど、彼は努力するんです。ジョンがいないなと思うと、ひとりだけ遠いところのレーンで練習してる。

ジョン・ボン・ジョヴィ、練習中!? ©Koh Hasebe / Shinko Music Archives

「あいつ、何やってんだ!?」ってみんな思っていたけど、今考えると、すごい努力家だし、彼の負けたくない気持ちってすごいなぁと思いますよ。ボン・ジョヴィはね、やっぱり僕らもリッチーがいた頃が一番よかったですね。この前来日した時も、ジョンとリッチーの話をちらっとしたんです。ジョンはリッチーに声をかけてはいるんですって。ただ、声はかけるけど、それ以上にプッシュはしない。

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東京駅が騒然となったMSG初来日

──80年代には、ウドーさんと、いわゆる“追っかけ”のファンとの攻防!?も激しくなってきましたよね。

重冨 めちゃめちゃですよ、めちゃめちゃ。ファンが僕の顔を見るだけで逃げて行きましたからね。でもそのくらいじゃないと。ジャパンの来日時は、ファンが同じ車両に乗り込むし、同じホテルに泊まるんですから。シングル部屋に何人も入って。80年の新潟公演の時もすごかったですよ。あの時は、東映ホテルに泊まっていて、オークラに食事に行ったら周りのテーブルが全部ファンでね。食事を終えて歩いて帰ったんですけど、橋を渡っていたら20mくらい先まで後ろをぞろぞろとファンが歩いている。

──大名行列みたいですね(笑)。

重冨 でも、記憶に残る中では、81年のマイケル・シェンカー・グループ(MSG)初来日が、ファンの数では一番じゃなかったかな。東京駅の八重洲口に着くと50~60人のファンがいてね。いつものように「どけ!」って威圧しながら入るんですけど、改札近くでもう進めないくらいファンが集まっていて前が見えない。突っ込むしかないから、雑誌や新聞紙丸めたやつを持ってね、「てめぇら、どけー!!!」って。今やったら、大変なことになりますけどね(苦笑)。新聞紙を丸めたので手のひらを叩くと、すごく大きな音が出るんですよ。するとみんな「きゃー!!」って散るから、その隙間を抜けて行く。