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《死刑判決に控訴》野村悟が来ると幹部は慌てて正座を… 工藤会壊滅作戦を指揮した福岡県警元刑事が見た“総裁”の真の姿

2021/09/11

genre : 社会

工藤會と草野一家の歴史

 元警察官、あるいは女性に対しても容赦なく襲撃を繰り返してきたのが工藤會だ。そのトップである野村総裁は、昭和21年に小倉市(当時)の裕福な農家の末っ子として生まれた。中学時代からグレはじめ、昭和45年頃に工藤会(現・工藤會)入りした。20代後半には早くも工藤会最有力組織だった田中組の傘下組織・木村組の若頭に就任している。野村総裁は、警察に何度も逮捕され服役もしている。だが、昭和55年ころに出所後は、今回、逮捕されるまでの間、何度か逮捕されたが何れも起訴猶予となっている。暴力団組織で上位へ登り詰めるだけの運と実力には間違いなく恵まれていた。

 当時、工藤会は同会から分裂した草野一家と激しい抗争を繰り広げていた。昭和54年には草野一家極政会組員らにより初代田中組長が射殺されている。その極政会を率いていたのが、後に工藤會三代目となる溝下秀男会長だ。溝下会長は野村総裁と同じ昭和21年生まれだ。

 工藤会と草野一家は、昭和62年に再び大同団結し、以後、工藤連合草野一家、二代目工藤連合草野一家、三代目工藤會、四代目工藤會、そして現在の五代目工藤會へと続いてきた。

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野村総裁とその右腕、田上会長

 溝下会長は野村総裁にとって親分の敵(かたき)だが、野村総裁は理事長、ナンバー2として、その溝下会長を支え続けた。そして、平成12年1月、溝下会長は名誉職の総裁に就任、野村理事長が四代目会長を継承した。その野村総裁の右腕が、今回、無期懲役の判決を受けた田上会長だ。野村総裁は三代目田中組長、田上会長は四代目田中組長、そして現在公判中の工藤會ナンバー3・菊地敬吾理事長が五代目田中組長だ。田上会長は田中組系列組織の若頭だったが、野村総裁に大抜擢され田中組若頭となり現在に至る。特に平成20年に溝下総裁が病死した後、工藤會で野村総裁は絶対の存在だった。工藤會が暴走した一因はそこにある。

 野村総裁が会長時代、その自宅を捜索した際、野村総裁と少し話をしたことがある。その時、感じたのが田上会長ら工藤會幹部の野村総裁への絶対忠誠の姿勢だった。

 本家と呼ばれた野村総裁方は、地上2階、地下1階の豪邸で、広い玄関を入ると正面は二畳ほどのガラス張り展示室、誰かの大きな絵が飾られていた。左は縁側、右は長い廊下で突き当たりが2階へ通じる階段になっていた。

 捜索中、野村総裁が2階から下りて来たが、それに気付いた何人かの幹部は慌ててその場に正座した。

 階段すぐ横が広い応接室で、私は言われるまま奥のソファーに座った。野村総裁、田上会長の席は決まっているようだった。幹部、当番組員らは何れも黒っぽいスーツ、ネクタイ姿だったが、野村総裁は白のジャージ姿だったと記憶している。

 現場責任者の私に対し、野村総裁、田上会長ともに敬語で応対した。だが、後に会った溝下会長が時に本音を語ったのに対し、野村総裁は「工藤会会長」という鎧の下を見せることはなかった。

「北九州はいいところでしょう」野村総裁がそう口にした。北九州市出身の私は賛同した。「……がなければ、もっといい街なんですけどね」私があえて聞き取れないように答えると、野村総裁は「ヤクザですか……」と苦笑した。さすがに私も当人らを前に「工藤會」と言うのは遠慮したのだ。

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