そして、そんなヤンキーたちは音楽の聴き方にも特徴がありました。ヤンキーの音楽的趣向は、先輩や仲間が聴いているのを知って聴き始めることが多い。また、どちらかといえば音楽性よりもファッションや歌詞を重視し、それらを聴いてバンドをやろうと思い立ったりするようなことは少ないです。初期はムードに憧れる、機能的・実用的な聴き方をしていると思いますね。
暴力性の高さと硬派さが特徴
――では、ここから年代ごとのヤンキーの特徴について伺っていきます。
斎藤 70年代は最も暴力性が高い時代と言っていいでしょう。当時は校内暴力や族(暴走族)同士の抗争があり、派手な喧嘩が盛んに行われていました。また、バリバリの硬派もたくさんいた。女性禁制という集会もたくさんあったと聞きますから、男が主体になって硬派的なカルチャーが一番中心的な意味を持っていた時代でもあるでしょう。
音楽的な視点で考えると70年代の暴走族の少年たちには、「キャロル」や「クールス」などのロカビリー系のバンドが人気でした。70年代のロックはある種の爛熟期といってもいい時代で、音楽性を楽しむファンはハードロックやプログレなどの洋楽を好みましたが、日本の暴走族たちはあくまでも邦楽。やはり際立った不良性というか、見るからにワルく見える強面なルックスが、彼らの感性に刺さったのだと思います。
80年代に花開いたヤンキーカルチャー
――80年代にいよいよヤンキーという言葉が浸透していきます。
斎藤 80年代にツッパリと呼ばれる新種の不良少年たちが台頭し、ヤンキーという言葉があてがわれ、定着してきたのがこの頃です。それと同時に、パロディの視点が生まれたことによって、バッドセンスなヤンキー像が決定づけられた時代だとも言えます。その象徴が「横浜銀蝿」。「横浜銀蝿」の代表曲『ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)』の歌詞は、「今日も元気にドカンをきめたらヨーラン背負ってリーゼント」(作詞、作曲:タミヤヨシユキ)と、ヤンキーカルチャーのあるあるネタを面白く盛り込んだ曲ですが、実はメンバー全員が大学まで通っておりヤンキー歴もありません。