70年代の暴走族をルーツに、80年代にはツッパリ、90年代にはチーマー……と時代ごとに変化を遂げてきたヤンキーたち。そんな彼らにとって音楽は切り離せない存在で、どの時代にもヤンキーたちに支持されてきた音楽があった。ならば、時代ごとのヤンキーに好まれた音楽から、当時の“ヤンキー性”を考察できるのではないだろうか。
そこで、著書『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』(KADOKAWA)などでヤンキーの精神性について分析している、精神科医で批評家の斎藤環氏にお話を伺った。(全2回の2回目。前編を読む)
90年代、ツッパリとチーマー
――90年代に入ると、渋谷駅周辺にたむろするチーマーやカラーギャングといった、新しいタイプのヤンキーたちも登場します。
斎藤 彼らが新しい勢力であったことは間違いないでしょうね。しかし、チーマーは主に渋谷や池袋と言った都市部の不良文化だったので、地方にもそういう人がたくさんいたかというと、そうではないと思います。『チャンプロード』などのヤンキー系雑誌ではまだ、特攻服や改造の特集が組まれていましたし、全国的な人口でみれば伝統的ヤンキーの方が圧倒的に多かったと思います。
――では、当時はどんな性質のヤンキーが多かったのでしょうか。
斎藤 タテ社会的なものへの反発がだんだん強くなっていて、喧嘩でやられるのはいいけれど、先輩たちから理不尽にやられるのはごめんだという価値観が当時から出てきたように感じます。それまでヤンキーたちは縦社会を遵守していましたが、90年代頃からはそうした秩序からの離脱も起こり始めていたようですね。さらにこの頃からは、以前よりあったヤンキーの家族主義・仲間主義が前面に出てきたという印象を持っています。
上の年代まで広がったヤンキーの年齢層
――暴走族やツッパリにもあった仲間意識が、より色濃くなったのが90年代ということですね。
斎藤 その一番大きな要因はヤンキーの年齢層が上の年代まで広がっていったことにあるでしょう。70~80年代のヤンキーや90年代のチーマーやカラーギャングは、成人すると卒業したイメージがあります。一方、地方のヤンキーたちはこの時代になると大人になっても抜けないケースが増えてくるんです。そんな彼らが成人してもヤンキー的な集団に受け入れられるために、家族や仲間を大事にしようというような道徳的な価値観を、積極的にアピールし始めたのかもしれません。