この時期にはすでに、ヤンキー的な感性自体が一般化していたのでしょう。ヤンキーが不良文化を離れて、カルチャーとして一般人口に浸透していったと考えれば、相互に流入することにも納得できる気がしますね。おそらく、ヤンキーの要素を部分的に持っている人というのは、ものすごい数いると思うんです。コラムニストのナンシー関さんが、日本人の50%はヤンキーだとおっしゃっていましたが、その言葉がかなりの説得力を持つくらい、潜在的にヤンキーの要素を持つ人々は多いのかもしれません。
ですが、あえて00年代以降のヤンキー音楽からその特徴を語るならば、“痛み”があると思います。浜崎あゆみさんの人気の理由には、“絶望三部作”と呼ばれている『vogue』『Far away』『SEASONS』などの楽曲に投影された彼女の複雑な生い立ちや、居場所を求める気持ちへの共感もあったはずです。さらにそれ以降、ヒップホップの隆盛とともにヤンキーカルチャーのトラウマ性はさらに前景化されてきました。
現在、ヤンキー的な層に人気を博すラッパー「ANARCHY」も自身の過酷な生育歴を自伝的に反映した『FATE』という楽曲を発表しています。もちろんヒップホップのモチーフは痛みだけではありませんが、「ANARCHY」の『FATE』では、ヤンキー文化に通底する痛みが借り物ではない言葉で、自己表現にまで昇華されているんです。私も彼の作品に出会ってからは、暴走や金や女という世俗的にも見える主題の背景に、痛みという要素が透けて見えるようになった。彼のリリックに本来の意味で救われ、生き延びられたヤンキーの若者も少なくないと思いますね。
――確かに、90年代までは強気な生き様を反映した楽曲が人気を集めていたようですが、00年代以降は繊細な心情を歌うミュージシャンや楽曲もヤンキーたちに支持されていますね。
斎藤 先日愛知県で密集フェスを開催して非難を浴びたイベント「NAMIMONOGATARI」は、ヤンキー的な参加者も多かった。もちろん、あのようなイベントは批判されてしかるべきですが、それはそれとして、現在のヒップホップこそはヤンキー文化の精髄であり一つの到達点ではないかと思っています。
ヤンキーからパリピへ
――近年、わかりやすいビジュアルのヤンキーを見かける機会が減ってきています。それは00年代から徐々にヤンキーと一般人の境界線が曖昧になってきたからかでしょうか。
斎藤 そうかもしれません。普段真面目に働いている若者でも、成人式の日だけ往年のツッパリを彷彿させる髪型などにして、羽織袴を着て人生で一度のお祭り騒ぎに参加したりする。そういう光景を見ていると、やはりヤンキー的なスピリッツを持っている人はまだまだたくさんいるのだと思います。
そしてヤンキー的感性の一般化が進んだ結果、現代では富裕層や芸能界にもバッドセンスを持ったヤンキー的な人がたくさんいます。ヒップホップに関しても、著名な精神科医である石川信義の息子で早稲田大学出身の「RHYMESTER」宇多丸が、不良のカリスマ的存在のラッパーであるZeebraと親友……という関係性が象徴しているように、“あちら側・こちら側”という分断はあまりないんです。そういった意味では、民主的といえる風景が広がっているのではないでしょうか。この形式の中で、ヤンキー文化がどのように進化していくか、今は楽しみにしています。
(文=福永全体/A4studio)
【前編を読む】ヤンキー音楽から考えるヤンキー性の変遷、「横浜銀蝿」はパロディバンドだったはずが…