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つまり、確信犯的にヤンキーのパロディをやったバンドだったのですが、異常なくらいのお茶の間人気を獲得してしまったのです。そのおかげで、ヤンキーがキャラクターとして一般層にまで浸透するようになりました。そして、彼らは一般層だけでなく、本物のヤンキーたちからも憧れられる存在になるんです。
――ですが、本気でヤンキーをやっている人からすれば、「横浜銀蝿」の存在や歌は自分たちを揶揄しているように感じるのではないでしょうか。
斎藤 当時は不思議と誰もそう思わなかったようです。むしろ彼らに憧れてヤンキーになったりしていたようですね。面白いのは、当の横浜銀蠅のメンバーも、人気の影響を受けるかのようにして“本物”になっていった経緯です。
「横浜銀蝿」の人気でバッドセンスな“ヤンキー像”が明確に
――80年代のツッパリの特徴ですが、70年代の暴走族の特徴でもあった暴力性は、80年代のツッパリたちにもまだ継承されていたように感じます。
斎藤 そうですね、80年代は、まだ青少年の暴力性が色濃い時代でした。校内暴力も変わらずありましたし、まだまだ暴走族はいましたしね。ただ、道路交通法の改正により暴走族たちへの取り締まりが厳しくなり、暴走行為がしづらくなっていき、私の感覚ではありますが、族同士の抗争も減っていくことになります。ヤンキーという言葉が浸透していったのは80年代なんですが、皮肉にも80年代はだんだんヤンキーとしての牙が抜かれていった時代と言ってもいいのかもしれません。