作家、画家、音楽家、自殺志願者の相談を受ける「いのっちの電話」相談員……ニューヨーク・タイムズ一面にロングインタビューが掲載され、Twitterに日々掲載されるパステル画は話題を呼び、そのジャンルを超えた活動が国内外から注目を集めている坂口恭平さん。新著のエッセイ『土になる』は熊本で畑を始め、躁鬱病を乗り越え、心身の安らぎを得ていく過程の畑日誌にして哲学書のような、でもとても開かれた一冊だ。世の中が閉じていったコロナ禍、絵を描き、文章を書き、「いのっちの電話」を受け続けた著者は、変化を止めず、土に根を張っていくように見えた。コロナ禍が長引くいま、目に映るものとは――。

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コロナ禍に、畑をやりパステル画を描くという「日課」

――コロナ禍の始まりと軌を一にするように書かれていますが、一方で本書は畑とパステル画との個人的な出会いから始まります。振り返ってみて、コロナ禍はどんな時間でしたか。

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坂口 僕の場合は世の中が揺れてないと、自分が揺れまくるんです。逆に言うと、もともと自分が揺れまくっているから、世の中が揺れていると波が合わさって揺れなくなる。3・11の時も、熊本大地震の時もそうです。3・11の時は福島の原発が危ないと思って、4日後にはもう東京を後にしていた。それは思考した結果ではなくて身体の反応で、でもいま考えると、その時って危険なくらい落ち着いていたんですよね。それは躁状態だったってことなんですけど、周りが動揺して世の中が同一になっていると、打ち消し合って僕が揺れなくなる。

 今まではそうやって大きな危機のたびに過度に反応してしまっていたんだけど、今回は、僕は徹底して日課をやっていましたね。畑を始めたのも理由はなくて直感で、ただあの頃はスーパーで買い物をするのもちょっと大変だったから、それなら自分で野菜を作ればいいんじゃない? って、市民農園を探したんです。日課の技術はそれまでに磨いていたから、畑をやると決めてからは早かった。

 これからどうやって生活をしていくのか、あの頃はみんな揺らいだわけですよね。僕の場合は何も変わらないように見えて、実は自分の中では反応が起きていた。これからノーマルじゃない生活が始まるわけで、どういう生活をするか、ということを考えたんじゃないかな。パステル画にしても、一生これをやっていこうと見出したのは畑を始めてからで、その前にまず生活をどうするかという危機があったんだと思うんですよ。