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「退屈が鬱になる。どんな人も一生かけてすることが必要なんです」 “いのっちの電話”の坂口恭平が“空っぽ”のコロナ禍で始めた日課とは

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『土になる』に寄せて

2021/09/17
note

目の前にある山、海、川、すべてが意味を持ち出した

――土や植物や猫たちとの出会いがあり、野菜が育っていくように、坂口さんの風や空気や目に見えないものを見る解像度も変化していきますよね。世界の見え方がカラフルになって、熊本という土地の強さも感じられるようでした。

坂口 書きながら、熊本の地名とか目の前の川や山の感じが面白いと思ったんです。風光明媚な土地ではなくて、いたって普通の田舎で、この場所この風景を描いている人なんて他に誰もいない。だけど行けば行くほど、「めっちゃきれい、これはなんだろう」と思っていた。一周回ってその場所を面白いと思って描くのとも違うし、海外の絵を見て、目の前の風景がその絵のようだと思って描くのとも違う。何か形を模したものを自分の周りで見つけて描くのではなくて、真ん前にあるものをまっすぐに見て、この風景を残したいと思ったんです。その感触は僕の中で今までと決定的に違うことだった。

坂口恭平さん ©文藝春秋

 シンプルに言うと、目の前の場所をどんどん好きになっていったんですよね。それくらいこれまでは目の前のものに影響を受けながら、実は見えていなかったんだと気づかされたし、それが土と出会ったということでしょうね。すると目の前にあるものすべてが、山も海も川も意味を持ち出した。でも畑をやらなくても、それはみんなできることだと思うんです。

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 ベンヤミンが「風景は待っている」ということを言っていて、「我々は時間性というもので風景を脅かすが……風景は裸の未来という形になって我々を迎え入れる」という文章に僕はハッとしたんですけど、自分が住んでいる場所で地面とつながって、風景が待ってくれていることに気づくと、その風景が持っている昔の時間も集まってくる。だから、畑の師匠であるヒダカさんが植物と戯れている状態も書きたいと思ったんです。ヒダカさんは言葉にはしないけれど、そんなことはわかっていて、とても満たされているように見えたんです。僕もただそれを憧れて見ているだけではなくて、実践できることが嬉しかったし面白かった。