ソウルのランドマーク「Nソウルタワー」を抱き、人気の観光スポットとして、そして、ソウル市民には憩いの場所として親しまれている南山(標高265.2m)。西側から東側に続くなだらかな散策路には今も多くの人が訪れる。

 そんな南山に最近、「ダークツアー(負の記憶が残る場所を巡るツアー)」と称して足を運ぶ人々がいるという。

 南山のダークツアーは南山北麓一帯をたどる。

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 この一帯には、軍事政権時代(1960年代~80年代)、韓国の「黒歴史」ともいわれるKCIA(中央情報部。現国家情報院)の本部やその施設が散らばっていた。今年、設立60周年を迎えた国家情報院の軌跡の一端を追ってみた。(前後編の前編/後編を読む)

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 回り方はいろいろあるが、まずは中心となる本館から訪ねた。

 最寄り駅はソウル市中心部、こちらも観光で人気の明洞がある地下鉄明洞駅。ここから北麓に続く道は「記憶の場所」という名がつけられているが、これについては後で触れよう。

 緩やかな坂をのぼり、再びカーブにさしかかると、丸みを帯びた壁には「世界人権宣言」の文言が刻まれた案内板が並んでいた。当初、ここにはKCIAが行った人権蹂躙の実態についても刻まれる予定だったが除かれたという。第30条まである「世界人権宣言」を読みながらカーブを曲がるとレンガ色をした古びた建物が見えてきた。「ソウルユースホステル」だ。

かつてKCIA本館だったソウルユースホステル全景。都心に近く、人気のユースホステルだ  ©菅野朋子

 鬱蒼とした森の中に建つ、隠れ家のような佇まい。普段なら世界から集まるバックパッカーや観光客の姿があるのだろうが、コロナ禍とあって人気はまったく感じられない。駐車場の隅にパトカーが1台。正面玄関にかけられた横断幕には、「ソウル特別市生活治療センター」とある。ホテルの人に訊くと、昨年6月から新型コロナに感染した軽症者向けの入院場所になっているという。

 この一見なんの変哲もない建物がかつてKCIA(中央情報部)の本館だった。

日本でも拉致事件が…海外にまで及んだKCIAの活動

 KCIAは故朴正熙大統領が1961年、米国のCIAを模して作った、大統領直属の情報機関だ。しかし、国家安保のための海外情報活動を行うCIAとは異なり、その目的は政権に反対する当時の民主化運動家やマスコミなどを監視し、取り締まることにあった。そしてその活動は海外にまで及んだ。

 日本で起きた故金大中元大統領拉致事件はあまりにも有名だろう。当時、民主化を目指す活動家で、朴元大統領の政敵だった金元大統領が1973年8月8日、白昼、東京・九段下にあったホテルグランドパレスで拉致されたのだ。

 連れ去られた金元大統領は神戸から船に乗せられたとされ、この時、足には重りをつけられたと自身が証言している。しかし、事件を察知した日本政府が照明弾投下などで船を威嚇したことにより、実行犯は事件が明るみに出たことを悟り、殺害を断念したといわれ、事件から5日後、金元大統領はソウル市の自宅近くで解放されている。