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 日本の警視庁はホテルから駐日韓国大使館の当時の一等書記官の指紋を押収したが、その後、日韓の間では曖昧な「政治的決着」がなされ、この事件は以降、公の場で俎上にのぼることはなかった。2007年、盧武鉉政権時に発足した「過去史真相究明委員会」は、この事件は当時のKCIA部長が指示した組織的な事件であり、朴元大統領も暗黙の了解の上だったという報告書をまとめている。

 KCIA本館に話を戻そう。

 この本館を中心に南山北麓一帯には40個あまりのKCIA関連施設があったといわれるが、その存在は機密事項とされ、今も明らかにされていないものも多いという。

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 本館は1972年に建てられた。南山がその地に選ばれたのは、ソウル市の中心部であり青瓦台からの呼び出しにいつでも動けるようにするためだったといわれている。1970年代の学生時代、民主化運動に関わったとしてここに連行された経験を持つソン・ホチョル西江大学名誉教授は当時のKCIAとのやりとりをこう記している。

「おい、大韓民国でいちばん高い山はどこだ?」

「漢拏山です(標高1947m。韓国でもっとも高い山。済州島にある)」

「この野郎、ソウル大政治学科の学生というのは本当か。漢拏山だと、南山だろう」(プレシアン、2021年7月30日)

 大統領直属の国家最高機関という奢り。南山はKCIAの通称となり、南山からやって来たと言われるとみな震え上がったという。

 “地獄”の拷問が行われた「地下バンカー」

 ソウルユースホステルと向き合う駐車場の隅には「ソウル総合防災センター」と書かれた丸みがかった形をした建物が建っている。ここはKCIAの「第6別館」だったところだが、別館というのは名ばかり。外からは分からないよう地上には建物はなく、本部とつながる地下3階まで広がる取り調べ室があり、そこでは”地獄”の拷問が行われ、「地下バンカー」や「地下拷問室」と呼ばれたという。対象者は反政権の政治家やマスコミだった。 

 今、残っているのは片隅に建てられた説明板だけだ。「旧中央情報部6別館」と書かれた説明板の場所を示す矢印は地下深くまで伸びている。ここの地下空間はついぞ公開されることはなかった。

ソウル総合防災センター ©菅野朋子
「旧中央情報部第6別館」と書かれた表示板。駐車場片隅にぽつんとあり、注意深く探さないと分からない  ©菅野朋子

 本館をあとにし、今度は対共(対北朝鮮)捜査局、有り体に言えば、北朝鮮のスパイを洗い出す部署があったという第5別館跡へと向かう。なだらかな坂の一本道。右手には南山の木々がこんもりと茂っていて、左手下の道路には車がひっきりなしに往来し、時々すさまじい騒音が響く。道路を隔てた向こう側に広がるのは韓国の民俗文化を伝える「南山コル韓屋村」だ。