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 第5別館では、100日間も監禁し強制的に自白させるなど、他部署での拷問は「マッサージ水準」といわれるほど残忍極まりない拷問がここで行われていたと伝えられている。

KCIA第5別館地下室に続く階段。地下2階まであった ©菅野朋子

 KCIA本館がソウルユースホステルとなったのは2006年からだ。現在の国家情報院は1995年に江南に移転しており、この本館も撤去される予定だった。しかし、反対世論に押される形で計画は白紙化され、その後、国家暴力の過去が残る場として、人々が使用する教育施設などにする声などが上がっていた。保守派の李明博元大統領がソウル市長を務めていた時代の話だ。

 結局、ソウル市はユースホステルとして活用することを決定し、今に至っているわけだが、今でも進歩派からは不満が漏れる。

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「肉局」と呼ばれ恐れられた部署

 その後の2009年、ソウル市はソウルユースホステルがある南山北麓一帯を「南山ルネッサンス事業」と銘打って再開発に乗り出した。同じく保守派の、今年ソウル市長に返り咲いた呉世勲氏の1期目の時代だ。この時もソウルユースホステルをはじめKCIA関連施設を撤去しようとしたが、再開発の途中で日本の植民地時代の遺跡が発掘されるなどして頓挫したといわれる。

 2011年から20年まで、ソウル市長は進歩派の故朴元淳前市長へと代わり、計画は紆余曲折を経て、17年にはKCIAの悪名高き「6局」跡地が市民に公開された。

 6局は主に民主化運動をしていた学生たちを査察、捜査する部署といわれ、人を単なる肉の塊とみなしたことから、「肉局(6局と同じ発音でもある)」とも呼ばれ怖れられたという。6局の跡地も当初は「拷問博物館にすべきだ」という意見が寄せられていたが、代わりに人権を考える場所とし、公園の1階も独立運動家の記念館になっている。

 第5別館跡から踵を返し、その6局跡へ向かった。来た道をそのまま戻る。再びソウルユースホステル前を通り、「世界人権宣言」の説明板があるカーブを曲がると、右手にはオープンしてまもない「南山芸場公園」が見えてきた。ここは「南山ルネッサンス事業」で新たに造られた公園だ。道なりの左側には1910年に日韓併合条約が結ばれた「統監官邸跡」がある。この場所についても後で触れる。

「南山芸場公園」につながる歩道の脇には保護樹木の銀杏の木がそびえていた。1996年に保護樹木として指定され、その時点で樹齢400年とある。朝鮮時代からあったわけで、これまでどんな光景を見てきたのだろう。そんなことを思いながら公園に進むと、よく手入れされた庭園のような光景が広がった。

南山芸場公園脇にある保護樹 ©菅野朋子

 KCIA6局を記憶する建物は行けばすぐ分かると言われていたが、すぐ目についた。公園の中でひときわ異彩を放つ、深い赤色をしたポストの形をした建造物。そこが「記憶6」と呼ばれる建物だった。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。