KCIA設立から50年、文政権下での大きな「動き」
ダークツアーの最後にKCIAの話を少し補足しよう。
時の政権により利用されてきたKCIAはそのたびに名前を変えた。1961年に設立された時の名称は中央情報部。その後、朴正熙大統領がKCIA部長に暗殺されると次の全斗煥大統領は組織の力を削ぎ「国家安全企画部」としたが、「黒歴史」はそのまま続いた。
その後1993年には「文民政権」となり、1998年、KCIAによって拉致された金大中氏が大統領になると組織改編が行われ、99年名称も「国家情報院」と変わった。設立60周年を迎えた今年6月、奇しくも金大中大統領が拉致されたホテルグラウンドパレスも49年の歴史に幕を閉じている。なんというシンクロだろうか。
文在寅政権はこの「国家情報院」を「対外安保情報院」に変更することを推進してきた。しかし、野党の反対と、進歩派内からも「金大中大統領の意志を継ぐべき」という声が強く、名称はそのまま引き継がれることが決まった。ただし、対北朝鮮の間諜捜査権は3年後の猶予を経て警察に移管されることが決定され、これは今も波紋を呼んでいる。
設立60周年を迎えたこの6月、国家情報院1次長を経て駐日大使も務めた羅鍾一・嘉泉大学教授はメディアにこう寄稿していた。
「蓄積された経験と専門知識の他にも国際的な交流や協力が必要な間諜捜査は情報機関がやるべきで、公にされた状態で職務を遂行する警察に移管することは納得し難い。(中略)太陽政策の成功のためには間諜を探し出さなければならない。北朝鮮に対南工作により目標を達成できないということを悟らせれば和解と交流、協力が可能になる」(中央日報、2021年6月9日)
対北捜査が警察に移管されれば、現在の「国家情報院」に残る機能は海外情報収集と分析、サイバー犯罪にテロ対策、そして産業機密犯罪などへの対処となる。
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