20世紀のエンターテイメントを牽引した人物が二人いる。一人は「喜劇王」チャールズ・チャップリン。そしてもう一人は「アニメーションの帝王」ウォルト・ディズニー。二人の天才の間には、実は濃密な交流があった――。本書『ディズニーとチャップリン』は、チャップリン研究の第一人者である大野裕之氏が、驚くべき二人の友情をはじめて解き明かした一冊だ。
「きっかけは10年ほど前、ディズニーとチャップリンを比較して話してください、という雑誌のインタビュー取材を受けたことでした。ディズニーがチャップリンに憧れていたことは既に指摘されていたので、影響関係はあるんだろうなと思って調べ始めたら、それどころじゃなかった。彼らの間には、師弟関係ともいうべき強い絆があったことが分かってきたんです」
二人の初対面は1932年。ディズニーの才能を見抜いていたチャップリンは「自分の作品の著作権は他人の手に渡しちゃだめだ」と助言したという。ディズニーにとって、人生を変える一言だった。以後、ディズニーはこの教えを生涯守り通すことになる。
「初対面の人に言うことがそれ? と思いますけどね(笑)。でも、ディズニーも自社キャラクターの権利をユニバーサル社に奪われるという苦い経験があった。この言葉を実感をもって受け止めたのではないでしょうか。当時、他のスターたちは権利に関して無頓着で、その時その時でいかに高額のギャラをもらえるかということを問題にしていたので、著作権を重視するという考え方は画期的でした」
二人が見る未来は重なりあい、お互いがお互いの理解者だった。その後の彼らの友情を示すものとして、チャップリンがディズニー社の弁護士に宛てた手紙がある。そこには「わたしはウォルトで儲けたいとは思わない。彼のためにできることならなんでもしよう」と書かれていた。
「チャップリンは、非常に献身的にディズニーを支援しています。自分の映画の前座としてディズニーの短篇映画を上映したし、極めつけはディズニーが初めての長篇アニメ『白雪姫』に挑戦したとき、『モダン・タイムス』の会計資料を提供し、この通りにやりなさい、と教えた。そんなもの、機密資料もいいとこだと思うんですけど、でも見せた。チャップリンはいろんな人を支援した人物ではありましたが、これほど手厚く支援した相手は、他にちょっと思いつかないですね」
蜜月関係にあった二人だが、その思想は次第に別の方向に向かう。第二次世界大戦中、映画『独裁者』によって全体主義に立ち向かい、平和を訴えたチャップリンに対し、ディズニーは軍部からプロパガンダ映画を受注してディズニー社を生き延びさせた。また、著作権ビジネスに関する考え方も正反対だった。
「チャップリンは自分の作品が完全な形で世に送り届けられることを望みました。作品の改変は許されないし、リメイクもほとんどできない。でもだからこそ、チャップリンの魂は今でもダイレクトに伝わってくる。一方、ディズニーはキャラクターを打ち出し、どんどん新しい展開を追い求めていった。その結果、世界中の人がミッキーマウスを知るようになったけれど、我々がミッキーの内面を感じることは少ないですよね。いわば、一軒だけで味を守り続ける老舗の和菓子と、大展開しているコンビニのスイーツ。今に至るまで、著作権に関するビジネスの形はすべて、チャップリンとディズニーがやっていたことの間にあるんです」
おおのひろゆき/1974年大阪生まれ。脚本家・演出家・日本チャップリン協会会長。著書に『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』など。映画『太秦ライムライト』『ミュジコフィリア』(11月公開予定)他のプロデューサー、脚本も担当。