1ページ目から読む
3/4ページ目
伝える側にも注目すると面白い。
東京新聞が河野太郎は「脱・脱原発?」と特集した記事があった(9月16日)。
その中で面白かったのは「20年来、河野氏を取材してきた政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏」のコメントだ。鈴木氏は言う。
「ファンからすれば、発信力が魅力の『河野カラー』とは違う印象を受け、『日和ったね』と思われるかもしれない」
だが、それは総裁選を勝ち抜く選挙戦術だとする。「首相になってからかじを切る」と。そして、
「水面下で根回ししながら、脱原発に向かうと思うし、そう信じている」
コメントの最後に注目して欲しい。「そう信じている」。もう願望レベルなのだ。
記事の最後の「デスクメモ」は書く。
《福島原発事故後、河野氏は最も突出した脱原発の旗頭だった。その当時からすれば、今回の「再稼働容認」はやはり驚きというほかない。あと少しで首相の座が見えてきた時の「選挙戦術」だとしても、やはりもっと説明が必要ではないか。》
まったくである。
権力を背景にした「強引な姿」を披露
あと、重要だと思うことを書いておきます。今は控えていても権力を持ったらやってくれるはずという期待は「権力を持ったら豹変していい」と言ってることにならないか? こんな怖いことはない。
実は、権力を背景にした強引な姿を河野氏はすでに披露している。週刊文春によるパワハラ報道である。
《8月24日に行われたオンライン会議の場で、資源エネルギー庁の幹部職員にパワハラを行った疑いがあることが「週刊文春」の取材でわかった。》