王座タイトルを獲得したばかりの将棋棋士・中村太地さんは“テレビっ子”だった! てれびのスキマさんによる「テレビの履歴書」インタビュー・中村太地王座編の第2回は、将棋ドラマでどうしても気になることについて。(全3回 #1からつづく)
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「中村くんはプロを目指してる」の時代
―― 小6で奨励会に入られたそうですが、そこからは本格的に将棋一筋に進もうと思い始めた感じですか?
中村 プロを目指すことを決めたのが小6の春の大会がきっかけなんですけど、そこからは将棋を楽しむより、勉強するほうにシフトしました。
―― 「中村くんはプロを目指してる」ということは学校の友達は知っていたんですか?
中村 そうですね。というのも、当時は奨励会の例会日が平日にあったので、月に2回は学校を休まなきゃいけなかったんです。だから「あいつ、なんで休んでるんだ?」みたいになるじゃないですか。で、「将棋のプロ養成機関に新進棋士奨励会っていうのがあって、そこから四段に昇格するとプロ棋士になれて……」みたいな感じで説明してました。
―― 『3月のライオン』では林田先生みたいな理解者がいましたけど、中村さんの学校にはいらっしゃいましたか?
中村 ああ、確かに中学入ってからはそういう将棋好きな先生が何人かいて、応援してくれたりしてましたね。
―― 授業とか融通してくれたり。
中村 融通利かせてくれる先生と、厳しい先生といましたね(笑)。学校の名前を背負ってる部活と違って“個人の活動”なので、どうしても休むと病欠扱いになっちゃうんです。でも、先生によってはテストを休んでも補修テストを受けさせてくれたり、補講をしてくれたりしました。あとは、友達の助けが相当大きかったですね。ノートを見せてもらったりとか、分からないところを教えてもらったり。
風変わりな師匠・米長邦雄の面接試験
―― 棋士の方って必ず師匠につきますよね。伝統あるもの独特というか、いまやお笑いの世界でも落語など以外では、あまり師につくことはなくなってきています。将棋の場合は師匠はどのように選ぶんですか?
中村 いろんな種類があるんですけど、もともと知り合いの棋士がいたらその人に頼んだり。あとは、通ってる道場の方の紹介というのが多いですね。僕の場合は師匠(米長邦雄・永世棋聖)と全く面識もつながりもなかったんですけど、両親が師匠のファンで、せっかくだからお願いしてみようということでいきなり手紙を出してみたんです。そうしたら、返事をもらえて、一回面接しようということになって。
―― 面接ってどんな面接なんですか?
中村 うちの師匠は結構変わり者だったので、面接では本人を見ないんですよね。本人を見ず、母親を見るんですよ。母親を見るっていうのはどうしてかというと、うちの師匠的には、本人と一番時間を過ごしているのは母親だから、母親の影響がすごく出ると。母親がしっかりしている人であれば大丈夫だという基準なんです。あとは、本人が素直であれば、将棋のその時点での強さはそんなに関係ないと。父親は将棋ファンだし、師匠のことも大好きだから、面接の日は意気揚々とスーツ着て行ったんですけど、父親は全く関係なかったんですよね(笑)。