初めてのテレビ対局と同級生の「ハンカチ王子」
―― 奨励会から四段に昇格され、プロになられたのが高校3年生のときですが、テレビで初めて対局したのはいつですか?
中村 地上波だとやっぱりNHK杯ですね。
―― それは何歳ぐらい?
中村 22、23歳ぐらいだと思います。NHK杯戦も、プロ棋士全員が参加する棋戦ですけど、予選で3連勝しないと放映される本戦まで行けないんです。この3連勝が大変で。初めて出られることになった時はやっぱりうれしかったですね。昔から見てたNHK杯戦に自分が対局者で出られるということで。緊張して手が震えちゃうぐらいでした。……あ、でも、テレビで最初に対局したことは、もっと前にありましたね。
――それはいつのことですか?
中村 小学校の時に、NHKのお正月番組で女流棋士と小学生がペアを組んで対局する企画があったんです。それに小学校4年生の時に出ました。和服着せてもらって(笑)。で、その次の年に、小学生名人戦っていう全国大会でも一番大きな大会があって、これも放送されました。結局準優勝だったんですけど、これもNHKで。やっぱり、何人か見てくれる人がいて、ちょっとうれしかったですね。
―― 高校は早稲田実業ですが、同学年に「ハンカチ王子」の斎藤佑樹さんがいたんですよね。
中村 はい。2006年の夏の甲子園優勝の時は、ほんとにフィーバーがすごかったですから。大騒ぎになりすぎて、彼は文化祭に参加できなかったんですよ。
―― 話したことはあるんですか?
中村 いえ、クラスが一回もかぶらなくて話したことはないです。斎藤くん話では、トイレで1度隣になったことがあるのが唯一の自慢です(笑)。
中学受験して、大学まで進学した「棋士としての理由」
―― でも、いち早くプロになられたのは中村さんですね。
中村 ははは。プロという意味では確かに僕のほうが早いですね。
―― プロになったことは学校では有名だったんですか?
中村 結構知ってくれてましたね。学年だよりみたいなのでたまに出るんですよね、個人の活動の欄に。400人ぐらい1学年にいたので、顔と名前が一致してたかどうか分からないですけど、「中村太地」っていう名前と「プロとして将棋やってる」っていうのは知ってくれていたと思います。
―― そこから早稲田大学に進まれるわけですけれども、将棋に専念するのではなく、大学進学を選んだのはどんな理由からなんですか。
中村 小学校の頃、プロを目指すってなった時に親と「大学までは絶対に行く」と約束したんです。僕は幸いにして高校で奨励会を抜けてプロ入りできたわけですが、奨励会に所属できるのは26歳まで。年齢制限があるんです。親としては当初、大学にも行かないで26歳まで将棋だけひたすらやって、もしプロになれずにポンと社会に放り出されたら大変だと思ってくれたんです。変な言い方ですが「つぶしが効く」という意味でも大学まで取りあえず行っておいてくれと。大学進学に直結する早稲田実業を中学受験で選んだのもそういうことなんです。
―― そこまで考え抜いての10代だったんですね。
中村 高校から大学受験となると、だいたい将棋も正念場を迎える時期なので、やっぱり大変だろうと。それで中学受験をすることにしたんです。