鈴木亜美さんは、90年代を代表するバラエティ番組『ASAYAN』のオーディションをきっかけに芸能界入り。一般の女の子が一夜にしてアイドルとなり、小室哲哉さんプロデュースのもと、鮮烈なデビューを果たします。当時、その裏側では一体何が起きていたのか? 鈴木さんご本人に23年前の“あの日”からを振り返っていただき、あらためて来年40歳を迎える心境を伺いました。(全2回の2回目/前編から続く)
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『ASAYAN』は本当にガチな番組だった
――1998年、『ASAYAN』(テレビ東京)のヴォーカリストオーディション・ファイナルで1位となったことがデビューのきっかけですよね。東京だけでも5000人以上の応募があったという激戦を勝ち抜いた、その瞬間の心境はどんなものでしたか。
鈴木亜美さん(以下、鈴木) 正直、あんまり覚えてないんですよね。『ASAYAN』は本当にガチな番組で、私自身もオンエアで自分が選ばれたことを知ったんです。
そもそも応募したのも勢いというか、私が歌手に憧れていることを知っている友達が“みんなで行こうよ”と背中を押してくれて、「ファイナルだから応募しとこう!」みたいな感じで。友だち数名と一緒に揺れる電車の中で履歴書を書いて、学校の教室の椅子の上に乗ってピースしている、スナップ写真のような全身写真を貼って応募しました。
小室さん(プロデューサーの小室哲哉さん)からも、「亜美の履歴書の全身写真、ほんとあれナメてるな~と思ったんだよ」と言われましたね(笑)。スタジオでプロのカメラマンにちゃんと撮影してもらってる人が多かったみたいで、逆に普通の女子高生っぽさが際立ったみたいです。
「うちってやっぱ貧乏なんだなあ」と思った瞬間
――当時は歌手になることが夢だったんですか?
鈴木 歌やカラオケが好きな一家で、私も小さい時から歌うことが好きでした。でも芸能界とかには無縁の、本当に普通の家です。むしろ、普通よりかなり貧しかったと思います。両親は若い時に結婚して、25歳までに私含めて3人の子持ちになったので、生活は大変だったと思いますね。
――小さい頃のご家庭の様子で印象に残っているエピソードはありますか?
鈴木 お風呂のお湯を節約していたり、あとうちは近所のお兄さんお姉さんのおさがりをもらっていたので、新しい服を着ている友だちを見ると、「うちってやっぱ貧乏なんだなあ」と思ってました。
父は早くに社会に出ましたが、思うように仕事に就けず、苦労して一歩ずつ階段を登っていたような人。だから歌手になることは全面的に応援してくれていましたが、学業だけは疎かにしてほしくない、と言われていました。