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『ASAYAN』放送後、家に人が押しかけ学校も大騒ぎ

――そんな中で高1の冬にデビューが決まって、生活は激変したのでは。

鈴木 当時のテレビは今とは違って、自宅や周辺がモザイクなしで放送されていました。おかげですぐに家の場所が特定されてしまい、『ASAYAN』の放送以降、家に人が押しかけたり電話が鳴り止まなかったりと、いろいろ大変でした。

 地元の神奈川県の高校に通っていましたが、学校も大騒ぎになってしまって対処しきれないということになり、芸能コースのある東京の高校に転入しました。

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 ただ厳しい学校でしたし、父の願いもあり、どんなに仕事が忙しくても学業との両立は絶対でした。試験も修学旅行も全部参加したので、高校時代は毎日睡眠時間が2、3時間というハードな生活でしたね。

 

「アイドル・鈴木あみ」は数年で終わりなんじゃないか

――そうして98年の2月にデビューが決まってから、7月に『love the island』でCDデビュー。9月にはセカンドシングル『alone in my room』、11月に『all night long』、12月には『white key』と、半年足らずの間に4枚ものシングルをリリースするという凄まじいスケジュールでした。“鈴木あみフィーバー”な日々を当時、どのように捉えていたのでしょうか。

鈴木 オーディションに合格した時からすごい嬉しくて楽しい反面、いつか来る終わりもうっすらと感じていました。たとえて言うと、夏休みも、始まってすぐはウキウキしているけど、その瞬間から終わりに向けてのカウントダウンもスタートしていてちょっと切ない、みたいな感じでしたね。

――達観した高校生ですね。どこかでその人気に陰りが見えることも予期していたと。

鈴木 始まりには終わりがある。だからこそ、その終わりが寂しくならないよう、次のことを楽しみに変えていこう、みたいに考える癖が小さい頃からあって。人生は長距離走のようなものなので、物事を短いスパンでは考えないようにしているのかもしれません。

 デビューした時はアイドルのような感じだったので、「アイドル・鈴木あみ」は数年で終わりなんじゃないかと最初から思っていました。だからそこから先はどうしようかと、デビューした瞬間から考えていたような気がします。