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 新住民の中には、地元のやり方に対して意味もなく反発したり、気にくわないとクレームをつけたりする人もいる。それでいて、自分は何もしようとしない。

 けっきょく周囲との関係を拒絶し、自ら断ち切ってしまう。

 つまり孤立状態である。

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 そんな生活のどこが楽しいのだろうか?

中高年に目立つ“モンスター新住民”

 昔から、ひねくれたり偏屈な移住者はいたが、最近はとみに増えた気がする。

 そんな連中のことを、私は“モンスター新住民”と呼ぶ。

 そうした“身勝手なよそ者”は老若男女の分け隔てなく存在するが、若い人たちよりも中高年に目立つような気がするのはなぜだろう?

 移住者だけではない。別荘の住民にも多い。

 たまに田舎にやってくるためか、愛想もへったくれもなく挨拶をしても無反応。犬の散歩中に別荘の車とすれ違うとき、狭い道なので路肩にわざわざ避けても、車窓をぴったり閉ざしたまま、目も合わせずに通過していってしまう。

 たとえば春先などの気持ちのいい季候、緑あふれたこの土地に都会からやってきておいて、新鮮な空気を車内に入れようともせず、ウインドウを閉ざしたまま、エアコンを効かせて走っている車のなんと多いことか。

 心の周囲に塀を張り巡らせる人と同じく、外との交流を閉ざしているのである。

 そもそも日本人はコミュニケーションが苦手な種族だと思う。

 だから海外に旅行や留学で行っても、現地の人間となかなか交わろうとせず、同胞ばかりで群れてしまう。悪名高き農協の団体旅行の時代から、なにひとつ変わっていない。

 その原因は、独創性の欠如である。

 個性を嫌って集団化し、他者を見本にするばかりでオリジナリティを重視しない。結果として、カタログをめくって選ぶような判断や行動を取る。そんな同一指向性がいわゆる正常性バイアスの原因である。

 つまり、大勢がやっていることだから、きっとそれは正しいと無条件に信じてしまうのである。

 都会流を引きずってやってくる人たちには、断乎としてこういいたい。

 ──都会の常識は田舎の非常識。

何よりも大切なこと

 美しいものにはいずれ飽きが来る──。

 雄大な自然、澄み切った空気、星空、山紫水明……そんな素晴らしい環境に囲まれて毎日の生活をしているうちに、いつしか馴れてしまう。

 私は渓流釣りや山登りがしたくてこの地を選んだ。しかし必死にここで生活を続けているうちに、釣りも登山も確実に行く頻度が少なくなった。

 山や渓流はすぐ近くにある。

 そこにいる──というだけで、なぜか満足してしまうのである。