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「それでも受け入れてくださって」「同じ女性として大尊敬」小室佳代さんが眞子さまへの想いを語った日

小室佳代さん密着取材一年 #2

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「二年ほど前には周りの人たちに『さようなら』と別れを告げて、いなくなろうとしていたんです。中には『ちょっと待ちなさい! 悔しくないの⁉』と励ましてくださる方もいました。でも『一生このまま状況が変わらないなら、もういいかな』って考えるようになってしまって」   

 その人は声を絞り出すようにして、つらい心情を吐露した――。 

 秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)が、2017年9月に婚約内定の会見を開いてから約4年。この間、絶え間ないバッシング報道を浴び、記者やカメラマンに追われる日々を送りながらも沈黙を保ってきた、圭さんの母・小室佳代さん(54)に、「週刊文春WOMAN」は約1年にわたって取材を重ねてきた。

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 9月27日に小室圭さんが米ニューヨークから一時帰国。10月中に眞子さまと結婚する見通しだ。その日を待ちながら、佳代さんはこの4年間、何を思ってきたのか。

「週刊文春WOMAN」2021夏号掲載の「《小室佳代さん「密着取材」一年》小誌記者に語った『息子の子育て、金銭トラブル、眞子さまへの尊敬』」を特別に全文公開する(初出:2021年6月22日)。(前後編の後編/前編から読む)

◆ ◆ ◆

「『さようなら』と告げて、いなくなろうとしていたんです」

「いつ死んでもいいと思うこともありました。明日死のう、と。今だってそう思うことはあります。本当に心身ともにつらくて……。こんなに生活が一変するなんて思わなかった。自分の中で勘違いしていた部分もあるかもしれません。何と言うか、自分の考えの許容範囲じゃないところで色々なことがあったので……」

 そう話す佳代さんの顔には、長きにわたる心労と疲れの蓄積が色濃く滲み出ている。

「2年ほど前には周りの人たちに『さようなら』と別れを告げて、いなくなろうとしていたんです。中には『ちょっと待ちなさい! 悔しくないの!?』と励ましてくださる方もいました。でも『一生このまま状況が変わらないなら、もういいかな』って考えるようになってしまって」

佳子さまは姉の結婚を支持

─マスコミの報道を気に病んで?

「その影響力ですよね。でも記者の方も生活のためのお仕事ですから。寒い中、取材されている方もいる」

─間違った内容の報道もあった?

「私は自宅にテレビがないんです。新聞も取っていなくて、週刊誌もまともに読んだことはないです。時々ラジオを聞いたり、ネットを見たりするくらい。私自身の報道もお友達から『あんなことが書いてあったけど、どうなの?』なんて聞かれて初めて知るんです。

 誤った話が広まるのは、本当に苦しい。一つ一つ訂正してもキリがないくらい。でも、こちらからは何も言いませんし、仕方がないことなのでしょうか」

最新号『週刊文春WOMAN vol.10(2021年 秋号)』発売中

 続けて何かを思い出したかのように、「去年放送されたテレビドラマで週刊誌が舞台の……なんていうタイトルだったでしょうか。女優の吉高由里子さんが記者役で主演をされていた」

─『知らなくていいコト』ですね。

「たまたま友達にパソコンで何話目かの動画を見せてもらったんです。その時は、現場の記者が『裏付けがないです』と訴えたのに、上の人が『書いちゃえ!』と記事を出してしまう場面でした。本当にそうやってありもしないことが書かれているんでしょうか。

約30年前の秋篠宮と紀子さまの婚約会見

「こんなことなら『出版社に就職して働けばよかった』」

 私、こんなことなら『出版社に就職して働けばよかった』なんて思うこともあるんですよ(笑)。そうすれば、記事ができるまでのノウハウが分かりますよね。どんな人に話を聞いて、どれくらい裏を取って取材されているのか。外から見ているだけだと、何も分からないので本当に不気味なんです」

 この3年半の間に出された金銭トラブルについての報道は、そのほとんどが元婚約者X氏の証言をもとにしていた。それに対して圭さんは4月8日に出した説明文書の中で〈(X氏は)なぜ週刊誌を利用する必要があったのか、なぜ事実と異なる内容が真実であるかのように報じ続けられているのか〉と綴り、強い疑念を抱いているようだった。

 一方で、記者との会話で佳代さん自身がX氏に言及することもあった。

「30年近く前に私たちが今住んでいるマンションを購入して、当時、あの方は上の階に住んでいらっしゃったんです。お仕事柄か、フランス製の衣服や小物を身につけていて、初めて見た時も『あらっ』という感じで目を引くファッションをされていました。

 うちの主人がマンションの管理組合の役員を一緒にしていたんですが、『良い方だよ』と言っていたのを覚えています。あの方のお母さまにも2回くらいお会いしていますが、とても達筆な方で私は尊敬していました」