あとは現実世界と同じ時間を体感させたいというか。役者から引き出した良い芝居を、カットを割ったりするのは、もったいないと思ってしまうことがあって。ツーショットのシーンを例にあげると、カットを割るとなると、大抵は役者の顔をヨリで撮ることになる。そうすると、どちらか一方の顔しか画面に映らなくなってしまいます。二人ともいい芝居をしている中から、取捨選択をせまられるわけだけど、そんなの選べない(笑)。
だったら、演劇じゃないですけど、シンプルにツーショットでいいんじゃないかってのが、長回し演出のはじまりでした。これって、現場で目の当たりにした芝居の時間や空気をそのまま届けたい、という欲望なのかもしれません。良い素材があるのなら、音楽をつけたり、カットを細かく割ったりして「味を濃くする」必要はないんじゃないかなって。
付け加えると、素材の味をより活かすために、むしろ編集の段階で“間”をさらに伸ばしたりする時もあります。一般的な映画の編集のセオリーでは、“間”は詰められ、上映時間もコンパクトになっていく。だけど僕は逆で、基本どんどん伸ばす。例えば役者が交互に会話するカットバックのシーンなら、映像の前後で映っていない人のしゃべり声を消して“間”を長くする。役者さんには失礼な行為とは思いながら、そういうことはしています(笑)。
人間の自然な挙動や会話のテンポ感って、映画として観ると思いのほか早くて、何をしてるのかが分かりづらかったりするんです。あるいはテキパキ動く芝居だと、いかにも芝居っぽく見えてしまったりする。僕の演出が「リアルで生々しい」と言ってもらえるのは、動きや動作のスピードを現実世界より若干遅くして、そのうえ“間”もコントロールして、これまでに存在していた一般的な映像よりも体感がリアルになるように調整しているからだと思います。
“間”を伸ばすストーリーテリング
新作の『かそけきサンカヨウ』はある意味、脚本の段階から“間”を伸ばす作りができた映画でした。これまで、原作付きの作品を何本か作ってきましたが、単行本一冊を映画に落とし込もうとすると細かな面白い部分を泣く泣くカットしないといけないし、それでもなお早足なストーリーテリングになってしまう。そういう作り方を残念に思っていました。それなら短編小説を膨らませる形で、映画を作ってみたいと前々から考えていたんです。
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注目の新作『かそけきサンカヨウ』の制作秘話や、その後に予定している次作の構想、さらには和牛やかまいたちと同期だったというNSC(吉本のお笑い養成所)時代の意外なエピソードなど、今泉力哉監督へのインタビュー全文は現在発売中の「週刊文春CINEMA!」に掲載されています。
今泉力哉(いまいずみ・りきや):1981年生まれ。2010年『たまの映画』で商業監督デビュー。13年『こっぴどい猫』でトランシルヴァニア国際映画祭最優秀監督賞受賞。主な作品に『退屈な日々にさようならを』(17)、『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『mellow』(20)、『his』(20)など。テレビドラマでも、『時効警察はじめました』(19)や『有村架純の撮休』(20)に演出として参加。
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