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ヤクルトに3位指名されたあの瞬間…米野智人が明かす、22年前の本音

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/05

 最近、無性に野球がしたいと思うことがある。

 プロで17年間、小中高を合わせると27年間も野球を続けていたので、引退直後は全くそう思わなかった。それが現役生活を終えて5年経った今、無性に野球がしたいと感じているのだ。

 おそらく今年からライオンズの本拠地メットライフドームのライトスタンド後方でお店(BACKYARD BUTCHERS)を出していることで、球場に行く機会が多くなったことも影響しているのだろう。必然的にプロ野球の試合を多く見るようになって、改めて感じることがある。

 プロ野球選手って、カッコいいな!

 僕はもうすぐ40歳になるが、今でも野球少年だった時の気持ちは変わらずに持っていたんだなと、メットライフドームに行くようになって気付いた。

 日本でプロ野球選手になるには、ドラフト会議で指名される必要がある。新人選手選択会議は毎年秋に開催され、この季節に欠かせない風物詩だ。

 10年前くらいから、TBSの「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」というプロ野球ドラフト会議と連動した特別番組が恒例になった。中居正広さんやスワローズの大先輩、古田敦也さんなども出演されて、ドラフトは昔よりも一層盛り上がるようになってきたのではと感じている(今年は企画を一新するとか)。

 ちなみに僕がドラフトで指名されたのは、今から22年前、1999年のことだった。

 1999年11月19日。北照高校の一室で、野球部や学校の関係者たちと一緒にドラフト会議のテレビ中継を見ながら、指名される瞬間を「今か、今か」と待っていた。

 小さい頃からプロ野球を目指してきた選手からすれば、“運命の日”だ。この日を境に、人生が変わると言っても大袈裟ではない。実際、僕にとってもそうだった。

 当時の心境を正直に明かすと、もしかして、このコラムを読まれた方に嫌われてしまうかもしれない。そう思うからこれまでもあまり語ることはなく、書き始めた今も、じつは躊躇する気持ちがある。でも、せっかくこのタイミングで文春野球の機会が巡ってきたので、正直に記したい。

2001年ヤクルト沖縄キャンプでの筆者・米野智人

伊東勤と古田敦也に憧れて

 僕がプロ野球選手を目指し始めたのは小学4年生の頃。父と兄の影響で野球を始め、地元の少年野球チームに入団した。

 本当はピッチャーをやりたかったけれど、チーム事情でキャッチャーになり、ちょっとテンションが下がっていた。

 そんな中で大きな夢を持てたのは、1992年、西武ライオンズvsヤクルトスワローズの日本シリーズをテレビで観戦したことがきっかけだった。伊東勤さんと古田敦也さんのプレーを見て、テンションがものすごく上がったことを覚えている。

 キャッチャーって、カッコいいじゃん!

 こんなに白熱する大舞台で野球をしたい!

「将来はプロ野球選手になる」と、自分の心に誓った。

 そんな夢が現実として近づき始めたのは、高校2年生の時だった。1つ上にプロ注目のエースピッチャーがいたことで、試合では度々プロのスカウトらしき人たちを目にするようになった。

「よし! これはチャンスだぞ。自慢の強肩をスカウトにアピールしてやる。そしてプロ注目の選手になって、高3のドラフトで指名してもらうぞ」

 スカウトらしき人を見つけたら、いつも以上に気合を入れてプレーするようになった(笑)。

 これは後に分かったことだが、いつも以上に気合を入れてプレーするようになった甲斐あって、1つ上の投手だけではなく、捕手である僕のことを調査するために足を運ぶスカウトも出てきたそうだ。

 プロへのアピールという意味で言えば、高2の春に出場した選抜甲子園大会も大きかった。初戦で郡山高校と対戦し、セカンドに矢のような送球で盗塁を2つ阻止した。

 北海道小樽市にある北照高校はスポーツに力を入れ、野球に加えてスキーや柔道も強かった。OBには長野オリンピックでスキージャンプ金メダリストに輝いた船木和喜さんがいる。

 野球部は1991年夏に初めて甲子園に出場して以降、北海道の強豪になっていった。甲子園には通算10回出場し、計11人のプロ野球選手を輩出するなど、全国的にも知名度が上がっている。

 僕が在籍していた頃は新チームになると毎年地方遠征があり、北海道内はもちろん、他県の強豪校との練習試合も多く組まれた。PL学園や星稜、仙台育英、金足農業、関東一高、沖縄水産などと対戦し、全国のレベルを知ることができた。

 強豪と直接ぶつかることで、自分は現在、どのくらいのレベルにいるかがわかる。それが楽しみだった。