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「顔だけで懲役10年いっちゃう」と…歌舞伎町界隈で“無修正エロ本”を猛烈に売りさばいた「白スーツの男」

『全裸監督 村西とおる伝』#1

2021/10/08
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 1983年2月。

 会長から資金を引っ張り、私が編集長を務めた写真隔週誌「スクランブル」は、高田馬場の新築マンションの一室でスタートした。

 まだ「FOCUS」しかなかった時代だったこともあってか、よく売れた。

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 ところが北大神田書店グループの販売網が警察の摘発を受け、会長のもとに毎週入ってくる膨大な儲けは寸断され、会長は逮捕から免れようとホテルを転々とした。会長の脇には常にパンチパーマのミツトシが付き添っていた。

 最後に会った歌舞伎町の喫茶店「パリジェンヌ」で会長は、ロッテリアの冷めたチーズバーガーを頬張り、「おれは諦めちゃいないからな」と私を叱咤した。

 白いスーツはシミだらけだった。

 会長は逃亡先の北海道で逮捕。

「スクランブル」もたった半年で廃刊になった。

©iStock.com

村西作品はまったく売れなかった

 1984年初秋。

 釈放された会長は村西とおるという監督名でもどってきた。

 このころ勃興したアダルトビデオ(AV)の監督になるのだという。

 ビニ本時代の同業者だった西村忠治社長と組み、クリスタル映像というAVメーカーを立ち上げ、社員監督になったのだ(しぶとい男だ)。

 恩義のある西村忠治社長の苗字を逆さにして、これでまた世の中に通るか、ということで村西とおるになった。

 つい1年前までは裏本の帝王だった男が、いきなり映像監督である。はたしてできるのか余計な心配もした。

 物書き稼業にもどった私だったが、村西とおるからの誘いで、余った時間、脚本を書いたり、助監督となった。 

 村西作品は素人の悲しさゆえ、稚拙でまったく売れなかった。