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 村西本人がやけのやんぱちで男優として出演し、営業マン仕込み、英語混じりの美辞麗句を発してからんでいく。 

 最初のうちは、もう顔を出すな、と評論家連中からぼろくそに言われたが、なんでも自分がやらないと気が済まない村西とおるは重たいビデオカメラを担ぎ、みずから肉交をおこなった。

 80年代は消費社会が成熟した金ぴかの時代であり、人々の価値観も多岐に亘り、いままで野暮ったいものまで肯定する余裕が出て来た。郊外の農家の軒先にある水原弘のキンチョールのホーロー看板の野暮ったさに希少価値を見出したりするのは80年代に芽生えた価値観だ。その流れに村西とおるがいた。

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「ナイスですね」「ファンタスティック!」「ゴージャス!」「ダイナミック!」

 死語のような英単語を臆面もなくからみの最中に発する。そのどれもが肯定の英単語であった。

 営業マンの基礎会話、応酬話法をブラッシュアップさせた村西流応酬話法の一端である。

 コケにされた村西とおる作品は徐々に人気を博していく。決定的になったのは1986年秋発売、黒木香主演「SMぽいの好き」だった。

村西とおる監督 ©文藝春秋

村西帝国の崩壊、個人で負債50億

 西村社長と路線の違いから袂を分かち、ダイヤモンド映像を立ち上げる。

 バブル時期に重なり、作品は売れに売れ村西王国を築き上げる。

 だが放漫経営と衛星放送の投資が祟り、あえなく崩壊。個人で負債50億円を背負い込む。

 凡百の映画・小説よりも波乱に富んだ村西とおるの半生を私はたびたび文章で綴った。

 総決算のつもりで書いた『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版・新潮文庫)が2016年に刊行されるとコツコツとよく売れた。

 そのうちNetflixが関心をもった。

 山田孝之が村西とおるを演じたら――。

 こんな命題でプロジェクトが進んだ。