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「やってる」感の演出は政治も同じ

 さて、こうした風潮はいまや日本の社会をも蝕み始めた。官僚による政治家への忖度は、内閣人事局が官僚の評価について「絶対的な権限」をもったからとされる。尖った意見は排除され、無難な意見、大衆受けしそうな施策ばかりが取り上げられるようになった。

 政府自体が株式会社のようになった。株主である国民のご機嫌ばかりを気にして、絶対評価である総選挙を勝ち抜かなければならない。コロナ禍のような厄介ごとが起きても、自分では決断ができないので、周囲を窺ってなるべく波風の立たない、つまり責任を取らされない方法を採用する。内申書さえよければ、コロナ禍対策という難しい試験問題を解く努力する必要はないのだ。したがって「やってる」感だけを演出していればよいのだ、と考えるようになる。

©️iStock.com

 企業社会にも弊害が及んでいる。私の会社でも以前、ある社員に人事評価を伝えたところ、彼は私の評価に対して

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「私はがんばっています。こんなにがんばっているのに給料が上がらないのはおかしい。これはパワハラです!」

 と断定された。

日本社会の羅針盤を狂わせる甘ちゃんたち

 がんばりさえすれば、あるいはそのポーズをとってさえいれば評価される。冗談ではない。企業社会はそんなに甘ちゃんではない。ところが、自分褒めが浸透しきった今の日本社会は、口当たりのいい計画を立て、それに向かって「がんばっている」フリをするだけで、自分はもっと評価されてしかるべきだと信じ込んでいる人が増えている。

 世の中の現実の厳しさを学生の頃から経験せずに、周囲も「面倒くさい」「まあいいではないか」と、問題を先送りにしてきたツケが現代の日本社会の「勘違い」と停滞につながっている。見せかけの内申書に酔いしれ、現実を直視せず、狂った日本社会の羅針盤。今こそ困難な問題に正面から取り組み、突破する冷静な思考と圧倒的な行動力を持つ日本が求められている。