相対評価から絶対評価へ
良い成績つけてやって早く追い出したほうが楽、そのほうがみんな満足して卒業していく、それでよいのだ。
最近の入試は高校受験や大学受験でも内申書重視の傾向が鮮明になっている。試験の一発勝負は、その日の体調やたまたま出た問題の傾向などで運不運がある。中長期で勉学の状況が見て取れる内申書を重視したほうが勉強の仕方も変わる。試験偏差値だけでなく評価を多面的にすることで、正当化される。まさに正論だ。
だがこうした傾向、風潮は学校教育や現代日本社会に大きなマイナスの影響を及ぼしてきていることに、まだ多くの人が気づいていない。
高校受験における内申書評価は2002年頃から、それまでの相対的な評価体系から絶対評価に変わった。相対評価では、評価が5段階であれば、各段階で対象生徒の一定割合が振り分けられていたのだが、絶対評価では、たとえば教師が恣意的に全員を5にすることだって理論的には可能になった。
先生への忖度で優位に
その結果、高校進学が有利に運ぶように内申書を「甘め」につける学校が続出。都道府県によっては、公立高校入試で各中学校における内申書の偏りを調整して評価するなどという、「結局相対評価してるじゃん」的な事態まで発生している。
生徒にも影響が及んだ。絶対評価であれば、誰にでも5をもらうチャンスができる。そうだ、先生への忖度だ。先生に気に入られればよい成績を恣意的につけてもらえる可能性が高まるのではないか。以前ならば、中学生といえば反抗期の真っ盛り。ちょっとやんちゃな子でもテストはできるので、成績は5、などという生徒はどの学校にもいた。ところが絶対評価になれば、先生に逆らうのは損。むしろおだてておいたほうが無難、となる。高い評価を得るには、「がんばってる」ポーズをとるのが手っ取り早い。こうしたこまっちゃくれた小手先の対応をとる子が増えた。