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 これは「感情労働」と表現されることもあるが、福祉、介護の専門職はこれを日常的に行っている。そのことを踏まえると、親から浴びせられる理不尽な感情に耐え続けるということは、まぎれもないケアであることがわかる。

 しかし、それを専門的な知識、スキルを身につけた専門職が、仕事として行うことと、子どもが日常的に家で担うのとでは全く意味も負担も異なる。仕事であれば休むこともできる。同僚に愚痴を言うこともできるだろう。

 しかし、Bさんは知識もスキルもなく、愚痴を言う相手もいなかった。感情的サポートから離れて、休むことも、当然ながらできなかった。

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学校での人格の激しい変化

 Bさんの、学校での様子を聞いた私は、日常のケア負担がよく表れていると感じた。学校の先生方からすると少し不思議な「気になる生徒」だったのではないだろうか。

 まず小学校のときは、小学生らしからぬ「ませガキ」で、どこか冷めた感じがあったという。

「小学校でやっていること全てが、くだらなく思えてきてて。(中略)運動会で踊るとかも、なんでみんなで踊らなきゃいけないの、とか。これになんの意味があるのか、みたいな」

 もともとそういう性格だったかというと、そういうことでもないらしい。

「急になんとか係をやりたいとか、言い出したりして、やったこともあったのですけど。でも無気力になってしまうときもあったり」

 小学校高学年になると、意味もなく、突然ピアスを開けたこともあった。

「だから先生から見たら、すごく意味がわからなかったと思うのですけど」

 Bさんはそう振り返る。

 このような姿は、現在のBさんからは想像もできない。私が知っている彼女は、コミュニケーション能力が高く、理性的で、包容力もある。その彼女が、小学生の頃は「わけがわからない、無気力な生徒」だったとは、驚くばかりである。

 それに対してBさんは、「おそらく気力が残っていなかった」からだと思うと説明した。確かに当時のケア状況を思うと、家では持てる全ての体力、精神力を使い果たしていたと考えられる。学校で、きちんとした生徒としてふるまうといった余力はもはやなくなっていたのであろう。

 中学生になったときは、学校行事など、さまざまなことに積極的に参加するようになる。自分が必要とされ、頼りにされていることが実感でき、毎日が充実して楽しかったという。それが自分の自信にもなり、母親に抵抗することもできるようになってきた。

 ただ、学校では喜怒哀楽が激しく、「悔しくては大泣きして、うれしくては大泣きして」いたという。しかし家では別人のようで、学校でエネルギーを使ってしまっているためか、家に帰ると崩れるように寝てしまった。また、一時期、人間関係がうまくいかなくなったときがあり、そのときは過呼吸や突然の高熱などさまざまな症状がみられたという。