高校では、中学生時代とはまた180度変わった人格、生活になった。頑張るのはやめ、無気力を装った。
このように、Bさんは小学校から高校まで、別人のように人格が変化し、精神的にも乱高下を繰り返した。その背景にはさまざまな想いがあったと思われるが、家のことや自分の胸の内を誰かに話すことはなかったという。ただひとり、中学のときの養護教諭の先生を除いては。
この養護教諭の先生は、Bさんが本当に苦しいとき、その空気を察して、他の生徒を保健室から出し、一対一で話せる環境を作ってくれた。
「何かあったの?」と聞かれ、生まれて初めて「うわーっ」と泣きながら話した。先生はBさんの話を聞いて、ただ抱きしめてくれたという。
Bさんは、この経験を「衝撃的だった」と語る。自分が弱っているとき、優しくしてもらったのは、ほぼ初めての経験だった。この先生がいなければ、今の自分はいなかっただろうという。
勉強は嫌いではないがする時間がない
勉強はどうだったのだろう。
「全然、できなかった」
Bさんは、勉強は嫌いではなかった。ただ、できなかった。さまざまな事情で塾には行けなかったが、中学校の授業はきちんと受けていて、ノートをとるのも好きだったという。
ただ、家で勉強をすることができなかったのだ。小学校のときから、他の子が家で勉強するという意味がわからなかった。勉強をするということを自分の生活に組み込むことができなかったし、想像もできなかった。
十分に勉強することはできなかったが、Bさんにはなりたい職業があった。そのため、テストの点数だけは取るようにしたという。その結果、大学に進学することができ、現在では、その職業についている。
Bさんには、自分は普通の環境で育っていないから、ダメ人間なのではないか、欠陥品なのではないか、という思いがどこかにあったという。しかし、一方で、そんな環境で育っても自分には価値がある、生きていてもいいと思ってもらいたいという思いがあったと語る。
このように自分に対する評価が低いヤングケアラーは多い。そして、本当はそうではないはず、と悔しい思いを抱えているヤングケアラーも少なくない。
ヤングケアラーがいかに自分の価値を取り戻していくか、ということは重要なポイントであり、そのための支援も必要である。
子どもが自立することは当然のことである。それによって家族を捨てたという罪悪感が生じるのであれば、残された家族が生活できなくなると言うのであれば、それはケアを要する家族を支える社会の仕組みの方に問題があるのではないだろうか。
ヤングケアラーが自分の人生を歩めるようにするのは、本人達の意思だけではない。それを可能とする環境、社会の仕組みが大前提として必要である。
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