再びくすぶり始めた「疑念」
だが、この報道により酒井さんのなかで長年封印されていた「疑念」は再びくすぶり始めることになる。
自分の本当の父は死刑囚・平沢貞通なのか――。
酒井さんは仙台拘置所に収容されていた当時81歳の死刑囚・平沢貞通との面会を決意する。しかし、一度は拘置所側から「親族ではない」という理由で面会は許可されず、二度目は特別に許可されたものの、今度は平沢が「金網のないところで会いたい」と面会を拒み、ついに直接対面するには至らなかった。
「白黒つけたかったんでしょうね」
酒井さんは、若き日の自分の行動をそう説明した。
「記事を読んだ平沢さんから支援者のもとに、私が確かに自分の子であることを認めるような内容の手紙が送られてきたこともありました。しかし、平沢さんにはコルサコフ症候群(脳の機能障害による健忘症)の後遺症と見られる虚言癖があるとも聞かされておりましたので、それが本当のことなのか、はっきりとしなかったんですね」
平沢に、酒井政利が実子であるかどうかを確認する手紙を送ったのは、支援活動のメンバーだった石井八重子氏(舞踏家・石井漠の未亡人)だった。なお、『女性自身』の記事を平沢に送ったのは、平沢冤罪説を支持していた作家・松本清張だったという。
たとえ真実を知ることができなくても
「その後、思い出したように平沢さんと私の関係を取り沙汰する記事が出たりもしました。やはり気持ちのいいものではなかったですよ。ただ、私はある意味で『女性自身』の記事に感謝しているんです。それまで平沢さんから逃げてきた自分に、正面から向き合う機会と勇気を与えてくれたわけですからね」
平沢貞通は1987年、死刑執行されぬまま95歳で獄死した。確定死刑囚を最後まで「平沢さん」と呼んだ酒井さんは、穏やかな表情で語った。
「私のなかで、この問題は区切りがついています。たとえ真実を知ることができなくても、人間は強くなれる、前に進むことができますから」
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