山口百恵の育ての親として知られ、昭和を代表する音楽プロデューサーとして活躍した酒井政利さんが今年7月16日、心不全のため死去した。85歳だった。

 酒井さんは和歌山県出身。箕島高校、立教大学を経て松竹に入社し、その後日本コロムビアを経てCBS・ソニーに入社。同社のヒットメーカーとして300組以上のアーティストを世に送り出した。

音楽プロデューサーの故・酒井政利さん ©文藝春秋

 2018年、酒井さんの半生とその仕事を1冊の文庫本にまとめるため、延べ20時間に及ぶ取材を行なったことがある。もの静かでソフトな語り口の酒井さんだが、若い時分には「紅白歌合戦」への出場を渋った当時17歳の南沙織に、思わず平手打ちを繰り出してしまったこともある熱血漢だったという。(全3回の1回目/#2#3を読む)

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若いアイドルのため50歳を過ぎてカウンセラーの資格を取得

 大学で心理学を学んだ酒井さんは、50歳を過ぎてカウンセラーの資格を取得している。語るよりも、人の話を聞くことに長けた酒井さんはこう語っていた。

「カウンセラーの役目は、悩みを解決することではなく、その人が内面に抱えている悩みを一緒に探ることなんですね。巨大な商業主義のなかで生きる若いアイドルたちは、本当ではない自分の姿に悩み、実像と虚像のギャップに苦しんでいるものなんです。私はプロデューサーとして、より深く人間を理解する必要があると思ってカウンセリングの勉強をしようと考えました」

 実際、長時間に及ぶ取材のなかで、取材をしているのか、カウンセリングを受けているのか分からなくなるような瞬間があった。

「いま、“魔力”という言葉をおっしゃいましたね。まさに、その魔力なんです。芸能界には、表現欲という名の魔力が潜んでいるんです」

 質問者の言葉に呼応しながら、それをさらに深化させていく話術は、稀代のプロデューサーの実力と凄みを感じさせるものだった。