宮城からスタートした全国アリーナツアー
ミニアルバム発売に続いては、大晦日まで続く全国アリーナツアーもスタートした。初日は9月18日で、会場は宮城県のセキスイハイムスーパーアリーナだった。
震災から半年後の2011年秋に、宮城でライブをやらせてもらいました。その経験は僕にとって、いまだに忘れ難く大きな意味を持つものなんです。久しぶりのツアーの出だしも、やっぱり宮城しかない! と即決しましたね。
ライブを始める前は不安でいっぱいだったんですけどね。コロナ禍では無観客配信ライブを3回しただけで、「歌唱体力」みたいなものが明らかに落ちていた。それを必死に取り戻そうと入念にリハーサルを重ねたうえでツアーに入りました。
ツアーが進むとともに、歌唱体力が元通りになっていけばいいんですが。だって僕はこれから先、まだまだ音楽人でいるつもりなので。今年4月まで約1年半にわたり週刊文春で連載させていただいていたエッセイの最終回でも、「一生音楽人宣言」をさせていただきましたしね。ライブしてレコーディングして、またライブして……というルーティンを築き直し、音楽人としてまだまだやっていく所存でおります。
大幅加筆で『ポップス歌手の耐えられない軽さ』刊行
週刊文春に掲載していたエッセイは大幅に加筆が施されたうえで、タイトルも連載時と同じく『ポップス歌手の耐えられない軽さ』として、10月8日に刊行の運びとなる。
連載を始めたのは昨年1月のこと。たまたまですが、ちょうどコロナ禍と丸被りになってしまいました。毎週の原稿を書いていくという作業が、意外なほど支えというか助けになりましたね。自分が世の中に対して何をどう感じているかをそのつど確認できて、心の整理にたいへん役立ったんです。
毎回、自分の心の内側に渦巻く関心の赴くまま書いていたので、テーマは本当に多岐にわたっております。エッセイのタイトルを挙げれば、「親父と茅ヶ崎と」では我が故郷・茅ヶ崎で過ごした少年時代を思い返し、「あの青学の時代(とき)を忘れない」は青山学院大学に通った怒涛のような学生生活を赤裸々に告白、何も知らない初心者監督として映画の世界に飛び込んで得た体験は「『稲村ジェーン』秘話」で書き尽くしました。
素晴らしい人たちとのたくさんの貴重な出会いについても、記憶を掘り起こしていったものです。松田優作さん、アントニオ猪木さん、明石家さんまちゃん、アミューズの大里洋吉会長、そしてサザンオールスターズのメンバー……。人は人に支えられて生きているという至極当たり前のことを、書くことで改めて思い知らされましたね。