――学校って、どこかの劇団の養成所ですか。
白畑 「劇団京」の養成所です。その前に日活の養成所に通ったんですけど、ダンスばっかりやらされるので辞めました。真田広之さんが好きだったので、なんとなくジャパン・アクション・クラブも受けましたが、運動神経がなくて落ちましたね。
劇団京は「スタニスラフスキー・システム」という演技理論を導入していて、非常にリアルな演技を追求していました。養成所は2年制で、1年目は基礎訓練ばっかりで台詞を一切言わないんですよ。「架空対象行動」といって、水を飲む動きとかを延々と練習させられました。他の研究生たちは芝居をやりたいもんだから、「なんだ、コレ?」と辞めていっちゃう。でも、僕はそれが楽しくてしかたなくて。
リアルな演技がしたくて悶々としていた
――そこから劇団京の劇団員に。
白畑 劇団員になったけど、訓練ではリアルさを求められていたのに、舞台では「いかにも舞台」な演技を求められるんですよ。自分はどうしてもリアルな演技がしたかったので、悶々としちゃって。
そこで、市川崑監督のブレーンだった永妻晃さんが主宰する「イエローページ」という劇団に入りました。30歳くらいの時ですね。永妻さんが映画業界に顔の利く方だったので、いろいろと映画の端役をもらうようになっていきましたね。
だけど、3、4年したら演技の解釈とかで他の劇団員となんだか合わないなと感じることも多くなって。それを永妻さんも気付いたのか、「白畑、自分でなんかやれ」と言われてユニットを組んだんです。知り合いが自由が丘でバーをやっていて、そこを舞台にした脚本を書いて、その店内で上演していました。
――それは面白そうですね。
白畑 2005年くらいに始めて、4年くらい続けたのかな。結構、評判は良かったんですよ。でも、他のメンバーが「バーの話じゃなくて、ちがう話をやりたい」とか「こんな役をやりたい」とか言い出すようになっちゃって(笑)。バーを舞台にしたシリーズで認知されたいと思って一生懸命やっていたのに、それぞれの欲が出てきた。で、ユニットを解散しました。